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□違う愛
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初めて聞く着信音が鳴った。静雄と離れて一ヶ月と一週間ほど経った頃だ。臨也は大変浮かれて通話ボタンを押したのだが、携帯の向こうから聞こえてきたのは地を這うような声だった。

「今から行くから、絶対そこにいやがれ」

そこ、というのは今臨也がいる事務所のことだろう。認識の違いがあったらすれ違ってしまうような気がしたが、どうせ分かっているだろうと思ったので口には出さなかった。そもそも口に出せる雰囲気ではなかった。静雄は怒っている。臨也でなくとも、誰でも絶対に分かっただろう。臨也には全くもって理由が分からなかった。窓から静雄の姿が見えた。随分と早い到着だ。臨也の事務所に向かいながら電話をしていたのだろう。合鍵を渡していたのでドアの壊れる心配はない。多分。
乱暴な音がした。慌てて玄関の方へ駆け寄る。幸いドアは壊れていないようだった。静雄の顔を見上げる間もなく、腕を掴まれてリビングに連れて行かれた。静雄が中央に置かれたソファに座った。座れ、と促されたので、臨也もテーブルを挟んで静雄の向かいに座った。

「なんなんだ、これはよぉ」

静かな声音とは裏腹に、テーブルが砕け散る勢いで静雄が手に持っていた何かをテーブルに叩きつけた。事実破片が少し飛んでいたような気がする。反射的に身体が怯んでしまったのは仕方のない事だと思う。叩きつけられたのは雑誌だった。

『羽島幽平、浮気発覚!? 妖しい深夜の密会』

開かれた雑誌の見出しだ。センスが無いなあ、とは冗談でも言えないだろう。写真は羽島幽平が髪の長い女を抱き締めている、ように見える写真だ。残念ながら臨也は事実を知っているのだが。まずこの髪の長い女はおそらく自分であるということ。顔は長い作り物の髪で隠れているし、身体はほぼ車と幽平で隠れている。暗いせいも相まって、なるほど女に見えなくもない。しかし抱き締めているわけではない。よろめいた自分を受け止めたときの写真だろう。タイミングの悪い。そのページには羽島幽平と恋人の聖辺ルリと謎の女の三角関係について書かれていた。
一通り目を通してから静雄の顔を見た。眉間に酷く皺が寄っている。耐えているようだが米神に若干血管も浮いていた。

「…これが何?」

幽ほどではないにしろ演技は得意なつもりだ。嘲るような笑みを浮かべると分かりやすく静雄が浮かべる血管を増やした。だが、臨也の予想に反していきなり襲い掛かることはしなかった。あえて喧嘩になる道を選んだはずだったのだが。それが最良の道のはずだ。久々に会った好きな奴と殺し合いなどしたくはないが、仕方ない。

「しらばっくれんな。これ手前だろ」

そう言って静雄が指差したのは写真の中の髪の長い女だった。顔は隠れている。確かにいつも着ているコートが見えなくもなかったが、それだって殆ど見えないのに。確かにしらばっくれるのは不可能のようだ。黙りこくっていると静雄が再度テーブルを叩いた。今度こそテーブルが砕け散る。買い換えないといけない。

「ふざけてんじゃねえぞ…!」

地獄の奥から搾り出したような声だった。腕を掴まれる。万力で締め付けられたような痛みが走った。万力で締め付けられたことなど実際には無いのだが。潰される。本能でそう感じた。はなして、と言いたかったが掠れて声にならない。屈するなんて死んでも嫌なのだけれど。

「手ェ出すなって、言っただろうが!」

耳元で叫ばれて、くらりとする。そのせいか、つい臨也のほうも大声になってしまった。

「うるさいなあ! 君の弟に手なんかだすわけないだろ!」

少しばかり喧嘩腰になってしまったのは致し方ないことである。静雄に胸倉を掴まれた。首の後ろが布に押されて、骨まで痛んだような気がした。静雄が立ち上がったせいで臨也まで立ち上がらざるをえなかった。当然不自然な姿勢になってしまったので、膝がかくんと曲がってよろめいた。腕を引っ張られて無理やり体勢を戻される。そのまま乱暴に腕の中に収められる。抱き締められたのだと理解するまでに数十秒を要した。

「次やったら絶対許さねえからな」

耳元で低く囁かれる。どこかまだ不愉快そうな声だったが、謝る気は無かった。別に悪いことなんてしていない。それでも抱き締められたのは初めてのことだったので、嬉しいと思ってしまって、慌ててその考えを打ち消した。そうでもしないと悶絶してしまうからだ。



『大丈夫でしたか』

雑誌が出版されてから二日くらい後、再び幽から電話が来た。君のせいで酷い目にあったよ、と愚痴の一つでも零したかったが一概に幽一人のせいとも言い切れないので我慢した。別に恨んでいるわけでもないから構わないのだが。適当な相槌を返す臨也にも生真面目に話を続ける。やはり兄とは違うと思った。

『兄にばれてしまったみたいですね』

その言葉に大して意外性は無かった。あいつに何かされなかったか。おそらくそういう類の確認をされたのだろう。心配性の兄、という臨也からすれば最もイメージと遠い静雄を脳内に浮かべた。もし自分が弟だったら彼は幽と同じように愛してくれただろうか。馬鹿なことをかんがえてしまった、とすぐに消した考えだった。

「君のお兄さん、怒ってた?」

『ええ、とっても』

ふふ、と少し笑ってしまった。静雄がそこまで大切にする人間はおそらく幽くらいのものだ。あとは、両親もそうか。上司に、後輩、友達。随分静雄の周りには人が集まっていたらしい。その中で自分はどんなカテゴリに属するのだろう。純粋な疑問だった。

『手を出すな、って言われました』

幽の涼やかな声が妙に耳の中で響きまわる。まさか、と鼻で笑ってしまいたくなる考えが浮かんでしまった。事実臨也は脳内で自分を嘲り笑った。そんなことがあるわけないだろう。一瞬でそう判断できる程度には諦める癖がついていた。

『俺の恋人だから手は出すなって珍しく怒られました』

「…まさか」

うっかり声に出してしまう。驚くポイントが多すぎた。そもそも静雄に恋人と認識されていたのが驚きだった。いくら臨也が恋人だと言い張ろうとも静雄がそう思っていない可能性は非常に高いと思っていた。静雄が自分に恋をするなどありえない。静雄の恋人だと名乗りつつも、どうしても根底からその考えは取り外せなかった。だというのに、手を出すな、なんてまるで独占欲があるみたいな台詞。臨也の顔はとうに赤くなっていた。照れのせいか緊張のせいかは分からない。聞いてはいけないことを聞いた気分だった。

『愛されているんですね』

そう言って通話を終了されたが、臨也は携帯を握り締めたまま突っ立っていた。愛されているなんておそらく静雄と自分から最も遠いものだと思っていた。ディスプレイにシズちゃんという文字を浮かべた。話してみたい気分になったのだ。







幽が静雄から相談を受けたのは幽がドラマの収録が一段落した頃の事だった。

恋人が最近全然顔を出さないんだがどうしたらいいと思う。

それだけのことだったが、完全に伝えるのに数分を要した。照れていて上手く伝えられなかったのだと思う。仕事で疲れた弟に恋愛の相談をするのもどうかと思ったが、こんなときに相談できる相手としてぱっと浮かんだのは幽だったのだ。上司なども候補にあがっていたが、丁度女性にふられたばかりだというのでさすがに相談など出来なかった、らしい。そこまでが幽の聞いたことだった。
静雄は恋人の名前を意図的に伏せていたようだが、幽は何となく理解してしまった。昔からよく兄が語っていた、高校時代からの天敵であると。誰でも分かるんじゃないか、と幽はその無表情の下で思っていた。
今まで積極的にアタックしてきたその人が、近頃めっきり会いに来なくなったらしい。顔も見ないままそろそろ一ヶ月くらいになるらしい。

「今更こっちから電話なんて出来ねえしよ…」

そう愚痴を溢す兄はどこか寂しげに見えた。自分だけかもしれない、と幽は思ったが、気のせいではないだろうと考える事にした。どういう形であれ、兄を悩ませるその人が、兄にとって酷く大きい存在であるとは知っていたからだ。今まで喧嘩ばかりだったのに、急に素直になる事など出来ずに、ずっとその恋人に対して厳しくあたってきたらしい。要するに素直になれなかっただけなのだが、きっと分かってくれていると思っているようだ。

「それって一番話し合いが重要なんじゃないかな」

当たり前のアドバイスだが、我ながら的を射ていると思った。彼らにはきっと話し合いが足りていない。それは最初に兄がその人のことを語るときから抱いていた感想だった。高校の頃からその人について語る兄は怒りながらもどこか楽しそうだった。

「それが出来たら苦労しねえな…」

疲れてるのに邪魔して悪かったな、と困ったように頭をかいて、静雄は幽の前から去った。ドラマにでもなりそうなカップルだ。喧嘩ばかりだった二人の数年越しのラブストーリー、その中の役者の一人になるのも悪くない。そう思って幽は、高校時代兄が乱雑に書きとめて引き出しの奥にしまっていたメモの電話番号を携帯に打ち込んだ。




end

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