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□種類の
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折原臨也には悩みがある。
頬杖をついて淡々とキーボードを叩いていると目当てのページに辿り着いた。検索エンジンに打ち込んだキーワードは『ブラザーコンプレックス』だ。トップに表示された記事をクリックする。そこにはブラザーコンプレックス、俗に言うブラコンについて書かれていた。

兄弟に関する恋愛的感情。

臨也はその文に目を留めた。一般的に言うブラコンとは、兄弟に対して強い愛情を抱いている人間というイメージだろう。それは多くの場合恋愛的なものでは無いと思う。まさか、自分というものがありながら、と妙に古臭い女のような台詞を脳内で口に出してみて臨也は密かに失笑した。臨也の恋人は所謂ブラコンだった。
例えば、臨也と弟だったら彼は間違いなく弟を選ぶだろう。そもそも恋人であるというのに、おそらく彼は臨也を愛していない。臨也の携帯の着信履歴にシズちゃん、の文字が刻まれたことは無かった。弟どころか大多数の人間にすら勝てていないだろう。彼は、静雄は、昔から臨也を酷く嫌っていた。恋人など名ばかりだろう。身体を繋ぐ事はあれど、心を繋げたためしは一度も無い。これでは確かに彼の弟の方がよっぽど近い位置にいるだろう。血の繋がりなどを無視してもだ。

『俺の弟に手ェ出したら殺すからな』

恋人になる前か、後か、確かにそう言われた事がある。静雄は本当に、弟のためなら臨也を殺すことなど厭わないだろう。自分がその程度の存在なのか、弟がそれほどまでに大切なのか、臨也には分かりかねる話だった。愛してもらえない理由を、彼の弟にこじつけても全く気分は晴れない。もう静雄とは一週間ほど会っていなかった。
愛を試す、という名目で臨也は静雄に近づくことをしなくなった。勿論電話なんてしないし、池袋にだって行かない。それでも決まった着信音は鳴らないまま丁度一ヶ月が経ってしまった。特に落胆するというわけでもなく、臨也はしっかりと事実を受け入れていた。大方予想していた通りだ。そろそろ何事も無かったかのように会いに行けばいい。静雄も特に追求することは無いだろう。そういう関係だった。
今日はもう遅いから寝よう。明日になればきっと会える。脳内でそう呟いて寝巻きに着替えようとしていた。聞き覚えのある音がなる。普段通りの携帯の着信音だった。ディスプレイには知らない番号が映っている。こんな時間の電話は大抵良いものではない。あらゆるトラブルを想像しながら電話に出た。

『こんばんは』

確かに何処かで聞いたことのある声だった。クリアな青年の声だ。さほど大きくはないがよく通る声をしている。声だけでは完全に断定は出来ないが、年は臨也とそう変わらないだろう。

「…挨拶より先に名前を教えてほしいんだけど?」

あまりこういうやり取りに良い思い出はない。
臨也は突然街中で刺された時のことを少しばかり思い出していた。確かその時にはもう恋人同士になっていたはずだが、静雄は結局見舞いにも殺しにも来なかった。

『平和島幽と申します。兄のことで話があるのですが』

一瞬悪戯を疑った。しかし俳優、羽島幽平の本名を知るものなど少ないし、静雄の弟の名前を知っていたとしてここまでキャラを似せられるはずもない。実際にはその考えは穴だらけだったのだが、臨也はなんとなく本人だろうと思った。

「それって、今の方がいいのかな?」

何となく素っ気無い言葉選びをしたのはわざとだ。弟に、男と付き合っているなんて話は口が裂けてもしないだろう。せいぜい臨也のことを知っているとしても、天敵だという情報くらいしか無いだろう。それを踏まえたうえでの言葉選びだ。演技に関しては相手の方が何枚も上手であることは重々承知している。

『はい、出来れば。貴方のマンションの下に黒い車を停めてあるのですが、そこまで来ていただけると助かります』

これは本格的に罠の臭いがする。別に自分の事務所について知られていたことに不思議はない。時折静雄は臨也を殺すために新宿まで行くとき、弟の車に乗っている事がある。おそらくその時に把握したのだろう。さすがに電話番号まで知っているとは思わなかったが、それも静雄に聞いたのだろう。

「仕方ないなあ」

天下の大俳優に対してぶっきらぼうにそう言い放って通話を終えた。さすがに寒いだろうとコートを纏って、鍵を手に取った。下に降りるだけだが少しばかり見られたら困るものもあるので用心のため鍵をかける。エレベーターで降りたが、ロビーにはさすがに誰もいなかった。冬という事もあってガラスのドアから映る外は暗い。確かに外には黒い車が停めてあった。臨也が近寄って確認の声をかける前にドアが開いた。助手席側のようだ。

「外で話すのもどうかと思ったので、よければどうぞ」

マスクをした幽が運転席側から話しかけてきた。助手席に座れと言っているらしい。女性なら夢にまで見る光景だろう。男の自分でさえ座るのを躊躇う席だと、客観的に思った。じゃあ失礼します、と乗り込んだ車は暖かかった。折角の暖を逃すのも勿体無く思えてすぐにドアを閉めた。すぐ近くに、テレビの向こうにいるべき人物が存在しているのは何とも不思議な気分だ。臨也といるときでも、静雄は幽が出る番組は必ず見るので、よく見る顔だと言えばそうだが。

「で、話っていうのは」

何かな? とびきりの営業スマイルで訪ねたが、幽はさらりと受け流した。中々食えない青年だ。静雄の弟でさえなければお気に入りの人間になっていたかもしれない。だからといって、別に静雄のことで幽に嫉妬しているわけでは、決してない。

「いえ、兄と貴方が付き合っていると聞きまして、それが本当なのか確めに来ただけです」

無表情の手本のような顔でそう言った。それがたまらなく面白くて臨也はついに噴出してしまった。無表情ながらに少しばかり首を傾げる幽にごめんね、と誠意の欠片もない謝罪をして続けた。

「まあ、うん、付き合ってるってことにはなるのかな、一応。それ聞くだけなら電話でもいいんじゃない?」

意地の悪い笑みを浮かべて幽を見たが、さして動じる様子はない。話していてここまで感情が読み取れない人間も珍しいかもしれない。兄はあんなに感情的だというのにだ。反面教師にでもして育ったのだろう、と無礼なことを考えていた。

「こういう事は直接話したほうがいいかと思いまして。すみません」

生真面目にそう謝る幽は、テレビ上のキャラと何ら違いがないように見えた。しかし今自分の目の前にいるのは芸能人ではなく、静雄の弟なのだと言い聞かせている。よく見れば顔立ちからうっすらと面影が見える。それから幽が言葉を続けることはなく沈黙が続いた。気まずいというわけではなく、不思議な空間にいるようだった。
別れろとか、言わないんだ?
臨也はそう聞きたかったが、別れろと言われたところで静雄がそれを知りさえしなければ別れることなど絶対にしないので無意味だと気付いた。そもそも幽が静雄の方に別れろと言えばそれで済む話である。幽が口元のマスクを外した。

「それってさ、変装?」

「…はい」

マスクと、胸ポケットに入っていたサングラスを指して訪ねた。サングラスの色は茶色で、静雄のものとは違う色だ。よく見れば形も違うのでお揃いというわけではなさそうだ。こんなものもありますが、と幽が後部座席から何かを取り出した。何やら毛の塊のような物体で、暗いせいもあって奇妙な物体に見えた。手渡されたので素直に受け取るとようやく正体が分かった。所謂、女物のウィッグだ。幽はドラマで女装をしていた事もあった。確かに似合わないという事は絶対にないだろう、と幽の顔を見て臨也は一人納得した。

「着けてみますか」

え、と臨也が呆けた声を漏らすのも対して気に留めず、幽は臨也の手の中にあったウィッグを取ってその頭に被せた。少しばかり位置の調整をされて、頭の上でカチッという音が鳴ったのを確認した。完全に装着されてしまったようだ。

「似合いますね」

「…君って、本当に面白いねえ」

そもそも何の話をしに来たのだっけ、と自分に問いかけたくなった。目の前の相手に訊ねても正常な答えは返ってくる気がしない。話を聞かないのは兄譲りか、と苦笑した。車内の時計で時刻を確認するともうとうに日付が変わっていた。そろそろ帰るね、そう言うと幽は車から降りて臨也のほうへ回り込んだ。

「どうぞ」

ドアを開けて手を差し伸べる。女性用のウィッグを被っているとはいえ、女ではないので正直この扱いは丁重すぎやしないかと思った。笑ったせいで少しよろめいてしまって、幽のほうへ倒れこむ。彼はヒーローさながらに臨也を受け止めて見せた。

「ああ、ごめんね」

「いえ、大丈夫ですか」

傍から見れば美形同士の寄り添う姿で大変見目麗しいのだが、二人とも性格がどこかおかしいために勿体無い。

「そのウィッグはどうぞ。使ってくれると嬉しいです」

ジョークなのか分からないことを無表情で告げて、幽は去っていった。なるほど、確かにこんな弟いてもいいかもしれない。少なくとも今いる妹よりはマシか、と心の中で呟いた。不敵な笑顔を浮かべてはいたが、ウィッグは勿論被ったままである。



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