小説
□さらば鏨、地平線の彼方へ〜序章〜
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それは、突然の出来事だった。
「いっやぁぁぁぁぁ!」
青々と広がる快晴の空。暖かな日差しに包まれた初夏の日和に似つかわしくない絶叫が響き渡る。
ジタバタともがく姿は見慣れた後輩だが、抵抗も空しくうら若き少女に小脇に抱えられ遠ざかっていく光景は男としては何とも情けない。
今頃後輩も自身の非力を嘆いていることだろうと他人事の様に考えてそれどころじゃないかと思い直した。
「…早く帰ろ」
しかし鈴にはやはり無関係なので目の前で行われた誘拐劇などさっさと頭の片隅に追いやる。
いつも通りにbuショップへ向かい、いつも通りに新作をチェックし、いつも通りの小袋を携えた鈴はご機嫌だった。今脳内を占めているのはbuが初夏に売り出した最新作モデルに対するワクワクとウキウキのみであり、か弱き後輩の事など些末な問題なのだ。
「って、おいコラ!なに何もなかった様にスルーしようとしてんだよ!?」
帰り道を進みだした鈴の前に大きな影が立ちはだかる。曲がり角から飛び出してきた人物はこれまた見慣れた同級生。眼鏡のレンズ越しに覗く鋭い眼光は確かに鈴を咎めていたが、相変わらずの無表情で貫くのみ。
「雅も今帰りか?夕飯まで部屋籠ってるから」
「何普通に話流してんだよ!」
「んだよ、カリカリして。何かあったのか」
「あったんだけど!白昼堂々、誘拐事件起きてんだけど!」
「は?」
「は?じゃねーよ、そんなに帰りたいのかお前!」
「……? もう一回言え」
「難聴かお前は!この距離で怒鳴ってれば婆さんでも聞こえるだろ!!」
ぜえぜえと息切らす雅に、『はぁ〜』と大袈裟な溜息を吐いて見せた。どんだけ渋ってんだと鏨に同情する。
「チッ、まさか助けに行けと言うんじゃないだろうな」
「まさかって何だ、まさかって。行くに決まってんだろうが。後追うぞ」
もう鈴を待っていたらいつまで経っても追いかけられない。舌打ちした事はこの際水に流すとして、これ以上距離が開いたら手間取ってしまうと焦る雅に対して鈴はどこまでも冷静だった。
「待て、俺だけ行かされるなんて不公平だ。馬鹿コンビ呼ぶ」
「どんだけ嫌がってんだお前は。こっちは道連れ待つ暇なんてねぇんだよ。あと一応後輩だからなアイツ」
正当な意見を投げ付けても動じる事がない鈴は落ち着いてTELアイコンをタップすると慎重に番号を押し始めた。そう、一つ一つ確実に。押し間違えを恐れる様にその指をゆっくり動かして……
「早くしろよ!!」
動作の遅い鈴に怒声が飛ぶ。時間稼ぎを急かされてチッと再度舌を打つ音に雅は鏨を哀れに思わずにはいられなかった。
プルルル プルルル
『もしもしー?』
「何2コールも待たせてんだ、さっさと出やがれコノヤロー」
『いきなりの罵声!?』
無機質な機械音が途切れれば能天気な声が聞こえてくる。
しかしその声は何処か弾んで聞こえるのだから救いようのない奴だとアホ毛を思い浮かべる。
「なんか茅野が誘拐?されたらしいから今すぐ来いと雅がお怒りだ」
「なに人のせいにしてんだ、第一目撃者お前だからな」
『えー!?今借りてきたDVD消化するの忙しいから後にして』
「うるせー、俺だって最新機種のお預け食らってんだからさっさと来い!」
二人の会話を聞いたら鏨は何を思うだろうか。そんなうすら寂しい心地を覚えながら成り行きを見守ると、二言三言交わしたあたりで美時が折れらしい。『10秒以内に来なければ夕飯
抜きな』なんて無茶ぶりをして通話を切った鈴は、先ほどと違い高速タップで二度目の通話を開始した。
『なんだよ鈴ちゃん。今ラジオ聞いてんだけど』
微かに届いた声に電話の相手は火双だと分かる。もっとも馬鹿コンビだと言う時点で知れていたことだが。
「…火双、緊急事態発生だ。高難易度クエスを命じられたから今すぐ来るんだ」
『クエストって…もしかして戦闘もあるのか!!?』
「あぁ(多分)強敵との戦いが待っている。急がないと俺らで片づけるぞ」
『分かった今すぐ向かってやるぜ!待ってろよ強敵!俺が今倒してy』
ブチっと終話ボタンを押した鈴は雅に向き直り、固定された無表情で口を開いた。
「あの二人いるなら俺は帰ってもいい」
「わけないだろ」
それから数分後に拗ねた顔して美時がきたので取り敢えず肘鉄をお見舞いしておき、昂って奇声を発している火双は宥めすかして状況を説明した。案の定ブーブーと不満垂れる赤髪を夕飯なしの一言で反論を封じる事に成功したものの鏨の雑な扱われように雅が切なさを噛みしめていた。横では、やはり鈴の視線はスマホ画面に固定されている。
「そんじゃ追うぞ」
「なぁ、結構経っちまってみてーだけど場所分かるのか?」
まだ戦闘の可能性を微レ存であると説得したためかいくらか協力的になった火双が聞き返してきた。
雅は、ふむと一つ唸り、何かひらめいたように手を叩く。
「鈴、お前の予知で奴がどこ通るか確認してくれ!そこに先回りすればいい」
誘拐犯がどんな目的で鏨を拉致したのかは不明だが、何かしら対抗する力でもない限り能力者の追及はかわせまい。
意気揚々と頼めば、やはりというか鈴は嫌そうに、しかし一見すると分からない程微かに眉間に皺を寄せて、
「俺の大切な胡椒コレクションを開封しろと?」
「べつに陳列棚から出さなくていい。市販の胡椒なら持ち歩いているからな」
テスト期間中ではあるが委員会の都合で帰宅の遅かった雅は方に下げた学校指定カバンの中から小ぶりな便を取り出して見せた。
薄茶色の粉が詰まったそれは有名メーカーがスーパーで売り出す安価な商品である。
「ほら、頼んだぜ」
胡椒を手渡せば微々たる変化だが嫌々そうに受け取り鈴に呆れを通り越して疲労さえ覚えてしまうが致仕方ない。
「ふっ…ふっ…ふぇっくしゅ」
わりと可愛らしいくしゃみ音に、傍を横切った黒猫が逃げていく。
臆病なその猫を手懐けようと猫なで声をだしていた馬鹿コンビは残念そうに見送っていた。
「あーあ、鏨のせいで」
火双が恨みがましく呟くが、そもそも鏨の騒動がなければ猫にも会えなかっただろう。少しは鏨の存在を気にかけてやれよ、と呆れ交じりに溜息が漏れてしまう。
「……場所が見えた。今〇〇薬局の前を通って小学校方面へ向かっている。今から向かうなら市役所付近で待ち構えていれば捕まえられるだろうが……」
「が、なんだ?」
言葉尻濁した鈴を不審に思い聞き返した。続きを促せばやはり淡々とした調子のままで、
「相手は鏨を片腕で抱えたままバイクに乗っていやがる。飛ばしすぎて速度規制軽く越えてるし、ここからだと走ってたんじゃ間に合わない」
「交通違反までしてやがんのか。つーかそれ本当に女か?馬鹿力にもほどがあんだろ……しょうがない。俺らも車に乗って……でもタクシーじゃ家計に響くしな」
ぶつぶつと呟き思考にふけっている。救助で向かおうというのに予算で立ち止まるあたり雅も鏨を何だと思っているのか。
予算くらい所属する警察署に掛け合えば出してくれるのではないかと考えても雅の思案する様子が面白いので鈴は黙っているし馬鹿コンビは先程の猫を追いかけようとしていた。駄目だこりゃ。
「そうだ!夜崎さんに乗せてもらおうよ!」
そんな時だ。悩む雅の耳に意外な声が届く。
黒猫に威嚇された美時がパッと輝いた顔して提案していたではないか。雅は思わず感動し、目を見開いた。
(コイツ話を聞いていたのか……!)
てっきり黒猫に夢中で鏨の事などすっぽり頭から抜け落ちているとばかり思っていた雅は確かな成長を実感して打ち震える。
「でも天川のやつ、まだ就業中じゃないのか」
生徒として潜入している4人はともかく、教職者として天川は赤ペン片手にテストと向き合っているだろう。
「大丈夫だろ!普段でさえ俺らに面倒ごと押し付けてくんだから、こんな時ぐらい出てこいっての!」
火双は豪快に言い放つと自らのケータイを取り出した。炎を操る火双に似合う真っ赤な機体はいつの間にか呼び出し音を鳴らしている。ちなみに何故かスピーカーにしてあったためコール音もバッチリ駄々洩れだ。
『もしもし、何?僕今仕事中なんだけど』
「天川!かくかくしかじかだからさっさ車出せ」
鏨の担任として、そして4人の上司として、
一般市民が凶悪犯罪に苦しんでいるかもしれないのだ。流石に有無言わさずに出動する。
雅は確信した。
『なんで僕が行かなきゃなんないのさ?』
その確信は間違いだった。
無意識のうちに頭を抱える。なんて薄情な上司だ。雅ですら最近忘れていたが、我々の本来の目的は悪の組織“グループ”の壊滅ではなかったのか。一般市民を守り犯罪を許さない正義の心を持つの警察ではなかったのか。
雅は鏨が不憫でならない。涙がちょちょぎれそうだ。
とはいえ天川以外に車を持っていないのだから頼み込む他にない。やはり頑としてタクシーは使わない方針らしい。
「おい、天川」
『なんだい?』
ここで言葉に詰まった火双から端末を取り上げて鈴が呼びかける。
急に通話相手が変わっても動じない天川に秘策でもあるのか。
「今メール送るから読め。そしてもう一度返事を聞く」
平坦な声で言うと、ポチポチと響くタップ音。どうやら通話画面を最小化してメールを作成しているようだが、誰にも見られたくないのか片手で覆い隠して好奇の視線から遮っていた。
「なぁ、なんて書いてんだ!?」
「見せてよー!」
騒ぐお子様に目もくれず送信し終えたらしい。
素早く動く指が止まり、再び画面へ話しかけた。
「どうだ?車出す気になったか?」
『当り前じゃないか。大切な生徒の危機とあっては何をおいても向かうに決まってるよ』
にやりと企みが成功したような笑みを浮かべた鈴はそれを悟らせもしない無感動な声で再度問う。
するとどうだろうか、掌返した様に誠実な声音は先程と言っていることが全然違う。いったい何を吹き込んで懐柔したのか。今後のために是非とも教えを乞いたい。
火双も同じ心境なようで、さっきのメール何処だぁぁぁ!?と躍起になってフォルダを漁っているようだが周到なことに送信と同時に消去したと囁かれてい項垂れている。
「やぁ、待たせたね」
場所を伝えれば数分足らずで軽快に走る車が横付けられる。キュルキュル音がして勢いよく滑り込んできた車体に危うく衝突させられるのかとも思ったが、距離感覚や最低限の道徳の備えはあったらしい。
真っ赤なフェラーリで来ても違和感が発動しない男だが、実際に乗車するのはヴェルファイアだ。深い紫色のボディが日差しを反射して煌めいている。
「!…お前車の趣味だけはいいな」
鈴が感心したようにしげしげと見つめていた。確かに雅から見ても良い買い物だと思う。
ものによっては1,500万強の高級車だが、多分コイツが購入するのだからそれくらいするのだろうな、と何処か浮世離れした印象を持つ。
「天川、市役所だ!市役所に向かえ」
その価値を分かっていないだろう火双が荒々しく乗り込んでいく姿にハッとした。今は車に見惚れている場合ではない。
「それじゃシートベルトはしてね」
革靴の靴底がアクセルを踏みだした。