小説

□坂木美時の豹変
1ページ/2ページ






 明らかに見慣れない先輩がそこにいた








 本校舎から離れた離棟へ向かう道はいつも通りさびれており人とすれ違わない。

 やや離れたグラウンドでは野球部やテニス部、サッカー部など快活な活動にいそしむスポーツ系の部活が麗らかな晴天の下汗水流して青春の輝きを放っているであろう充実した掛け声が風に乗って鏨の耳に運ばれてはいるのではあるが、これから向かう場所は日向の木漏れ日が窓を通して差し込まれる我らが部室であり、そのような活動的な声とは鳩子の従弟の嫁さんの大学の後輩並みに縁が遠く、せいぜい水鉄砲を乱射してはしゃぎ回る幼稚な先輩方のどこの中二病と園児を掛け合わせた高校生かと思うような元気で伸び伸びとしたものが響き渡りどこぞの主婦スキルを持ち合わせた雅先輩が「うるせぇこの野郎!」と怒鳴る流れとなり、安定のスルースキルを持ち合わせたケータイ依存症……もとい峯木先輩が無表情でスマホをタップし続ける音が部屋を占めるだろうことは付き合いの浅い鏨にだって想像に難くなかった。


 一般的な家よりも広いものの学校の建築物としては手狭な玄関口に足を踏み入れ靴が散乱していない状態に珍しく一番乗りだなと考えた。
 最早使用感がほぼ皆無で数何単位で放置されている下駄箱を使ってまで上履きに履き替える者は先輩たちの中にはおらず、火双と美時はもちろん脱ぎ散らかしっぱなしであり、雅はそれに小言を言いつつ後から来た際にはそろえて並べてやり、鈴は無言で自分の靴を整えている。なので誰も下駄箱を使用しないのだ。ので、だれの靴も転がっていないということは誰も来ていないということなのだろう。そうあたりをつけ、その習慣に倣って鏨も下駄箱を使用しないため、普通にローファーを脱いで適当に端へと寄せて置き手にしていた上履きを冷たい床へと落とした。カコン、という乾いた音が反響し、昼間なのでまだいいがこれが夜ならば少し怖いかもしれない。先日雅とともにしたお化け屋敷の様子を思い出して軽く身震いしそうになった。

 「あれ?」

 上履きを履きながら数歩歩き、ふと下駄箱の
埃が溜まった空間をなんとなしに横目で見ながら通り過ぎようとして視界の端に移った運動シューズに立ち止まらず終えなかった。
 狭められた上段と広めの下段が1つとなった四角いスペースは均等に並べられており、そのどれもが埃により薄っすら白みがかっている。 その中でも異彩を色濃く表している1つの四角をよーく見つめた。何故ならとか今更書く必要もないが、靴が収められているからだ。
 しかも。白地に青と黒のラインが入っている柄は見覚えがある。ところどころ茶色く汚れているため余程運動で靴を汚しているのか、単に体育があったのか、普段ひっくり返して放置しているためすぐ汚れてしまうのかクイズ形式のようにいくつか選択肢が思い浮かぶがその見慣靴を脱ぎ捨てるアホ毛を思い出せば答えは3つ目だと他社の追随を許さない速さでもってボタンを連打して回答できる自信はある。

 ーーそれにしても珍しい

 周知の事実ではあるだろうが、美時は火双と並ぶお子様であり雅の手を煩わせる場面を幾度か見ている。この短い期間で。
 さらに面倒臭がりで自分の好きな事にしか手間をかけられないタイプだと見ている。
 そのため身だしなみや生活態度にほとんどこだわりがなく、アホ毛がたっていてもお構いなしだし、雅の母性までどんどん増していくのだ。
 その美時が靴を揃えておいただけでも驚くのに、下駄箱に仕舞うとは一体どんな風の吹き回しだろうか。
  
 いや、ここならホームレスの人が生活していたとしても確実に気付かないだろう。むしろ美時と揃いの靴を持つ第三者がこっそり潜んでいてうっかり靴を持ち忘れたといっ方がしっくりくるかもしれない。そうかこれはホームレスのだな、触らないでそっとしておこう。
 とかなんとか失礼な結論へとたどり着こうとした。まあ、特に害はないだろうし、もし何か起きたとしても昼は先輩たちがなんやかんやするだろうし、夜なら誰もいない。公共物だし勝手にやってても余程のことがなければ文句は言われないだろう。
 そんな斜め上の考えに行きつこうとしたが、ふと止まる。いちおう文芸部の部室となった会議室だか多目的室だかよくわからないような部屋を使われていたら先輩たちが許さないだろうしそうもいかないかと考えを改めた。しかし理科準備室のほうなら誰もいかないからやはり可能か。難しい問題だ。


 さて、美時が来ているかどうか確信ができないままではあるが、鏨が暢気な考えで憶測と想像をはためかせていたのもこの時だけだった。
 いつも通り扉を横へと引っ張り、誰もいないかもしくは奇跡的に美時がいるだろうと予想していた室内を確かめる。


 蓋を開ければなんとやら、奇跡的に美時がいた。多分美時かもしれない人がいた。


 だがしかしこれを美時と言っていいものだろうか。


 「あ……」

 木漏れ日が窓付近の床を照らし白く照り返した光が鏨の目を一瞬くらませた。
 そして再度視線を窓から離れた椅子に向けなおせば、視線をピンと伸ばして座り胸のあたりで本を掲げている男子生徒がいた。

 その男子生徒はパッと見美時によく似ている。しかし、ふやけているのではないかと心配になりそうなヘラヘラした横顔はキリッと引き締まり、下手すればピリッとした緊張感が伝わる隙のない面持ちである。そして同じ制服を着用しているにもかかわらず、20代にも見える大人びた雰囲気だ。そして真っすぐに落された視線の先は手にしている本。背表紙を確認すれば美時が好むライトノベルやコミックスの類ではなく、堅苦しささえ覚えそうな文体の純文学のタイトル。なかなかに分厚く手軽に読もうと手を伸ばすには重いだろう。じっくりと腰を据えて長期間に渡り世界を堪能したいのだと思った。
 細かいことを言えば、本をめくる指使いは、普段の美時だと次の展開を1秒でも早く読みたいという欲求に溢れた荒っぽく騒がしい動作にしか見えないが、今室内で物語を丁寧に味わっているのだろう生徒はゆったりとした動きで壊れ物にでも触れるような繊細さで1枚の紙をしっかりとめくっている。


 そして物語に動きでもあったのだろう。やや小さく頭を傾けただけだというのに、数秒間彼を凝視している鏨から見ればその変化が、興奮を高めて身を乗り出した様にさえ見える。
 傾けた際に重力に従って耳元から頬へと流れるようにサラサラと垂れた髪は黒々としておりそこだけは美時を連想させたが、頭の天辺には目印と言ってもいいアホ毛がない。


 やはりこれは美時ではない。美時などではないのだ。


 それもそうかと息を吐く。
 こんな読書している姿を見るだけで、息を詰めるほどの神秘性と感嘆してしまいそうになる優雅さを兼ね備えた男をあんな幼稚で煩いお子様2号と一緒にするなんて大変失礼であった。
 いまだにこちらに気付きもせず集中している男に謝りたい思いが湧いてきたが同時に読書の邪魔をしたくない、もっと見ていたいと自然と黙っていた。

 それにしてもこの男、いったい何故このようなぐうたら共がしか集まらない寂れた室内にいるのだろうか?
 喧騒を逃れて静かに集中できる場なら図書室があるだろう。
 それとも図書室で本の世界へと耽る男の姿を見た他生徒たちが鏨のように感慨を持ちつつ凝視してきたために古ぼけたこの棟に逃げてきたのだろうか?
 それほど視線に敏感であれば鏨の視線すら鬱陶しがるに違いない。

 だが見たところ男は、鏨の視線どころか扉を開けた音にすらちっとも反応していない。没頭し過ぎて気付かないのか、それとも敢えて無視しているのか。この男ならどちらでも有り得そうだった。

 ホームレスが忍び込んでいても不思議ではないが、制服を着こなした近寄りがたいのに目を離せない男がいるだけでこの学校の七不思議に該当してもいいとさえ思う。

 パタン、と音がした。普通の単行本と比べると重厚な低い音。
 ボケっとしていた鏨が我に返ると、男は広げていた本を閉じてゆっくりと顔を上げた。

 まだ戸口に突っ立っている鏨を認めると、薄く笑いかけられる。

 「えっ、あっ、あの」

 先ほどまで散々不躾に、見ていたというのに笑みを向けられた途端に狼狽えて視線が定まらなくなる。
 鏨の顔は熱かった。それはもう暑かった。

 初対面の人間を相手にジロジロ見ていた罪悪感が急激に鏨の羞恥を煽る。超失礼だ。とんでもないことを。マジすんません!!

 「おや、この本に興味でも持ちましたか?」

 穏やかな耳に馴染む声が耳をつく。落ち着け落ち着けと心の中で唱えながらしっかりと男を見据えれば、男は髪同様漆黒の目を細めて、口元に弧を描いている。
 木漏れ日が男の傍へと足を運んでいたようで、机に反射した白い光が男の瞳に映り、暗闇の瞳の中に1粒の白が丸く光る。

 闇夜に浮かぶ満月を思い起こした。

 「えっと、なんとなく難しそうな本だなぁと思いました……」

 まさか『あなたの読書姿をガン見していました』と言えるわけもなく、咄嗟に出たのは本を好ましく思っていないと捉えられる感想のみだ。今なら穴の中に入りたい。急いで詩音に掘ってもらいたい。切実にそう思った。

 その鏨の羞恥を知ってか知らずか男はクスッと軽い音で笑ったかと思えば、変わらず柔らかい目で鏨を見る。
 とりあえず機嫌を損ねていないと分かり、ほっと胸を撫で下ろす。

 「確かにこの本はライトな文章ではないですし、少々重苦しく感じるかもしれませんね」


 軽やかな声は自分を虜にした本を自虐するものではなく、単に事実を述べるだけの口調だ。

 鏨の周りには中々いないタイプであることは確実である。詩音や仙台は同い年だということを除いても例外だし、姉も大人びてはいるが気を抜いた時に見せるじゃじゃ馬気質や落ち着きのなさは昔から変わらない。
 火双と美時は比べるのが失礼に値するし、雅は頼りになる兄貴タイプだが鈴と比べると騒がしい部類に入るし備わっている主婦スキルと母性から所帯じみたところがある。鈴は知的でクールなイケメンだが悪乗りはするしなんやかんやで火双達と根本的なところは同じ気がする。
 あとは海野宮会長が似ているような気はするが会長の方がミステリアスな雰囲気が色濃く近寄りがたいし、ダーツ部の3人では阿佐田が近いかもしれないが阿佐田は堅物というか真面目さが際立ってとっつきにくそう。最後は天川教諭であるが飄々としていてどこか毒がありそうな美形も当然当てはまらない。


 長ったらしくなったが何を言いたいのかというと、言葉遣いといい客観的に見る姿勢と言い、何故最初に美時を思い出したのかと数分前の自分を叩き倒してやりたい。

 「おや、君は考え事が好きなようですね」

 再び志向の海へと泳ぎに出掛けた鏨にやはり乱れない声が朗らかに感想を述べる。

 「えっ、すみません!」

 「いえ、想像力を羽ばたかせ思考に耽る……とても有意義な時間ですよ」

 「あっ、ありがとうございます。……ところで、ここ文芸部の部室だったと思うのですが……」

 ほぼ水気のなくなったタオルから水滴を絞り出すがごとく、勇気を雑巾絞りして尋ねてみる。

 確実に同級生ではない。むしろ同級生ならば2か月も経過していてこんな人物がいるなら気付かないわけがない。それに見た目からしても絶対の自信を持って先輩であると断言できる。むしろ私服でいたら高校生に見えない。
  
 この先輩がいるのは大いに結構だし鏨としては大歓迎ではあるのだが、部外者が堂々といるところに過激派な先輩(火双)が現れたら何を言われるかわからない。雅なら穏便に済ませる内容を荒らして激化させ火をつけるのが火双だ。さすが名前に火という感じが入っているだけのことはある。

 この男子生徒に被害が及ばぬうちに移動してもらうのがいいだろう。

 「あぁ、そうだね、ここは運動部の声もあまり届かないし、実に静かで集中できる空間だ」

 「これは嵐の前の静けさなんです」

 「と、言うと?」

 「間もなく低気圧と高気圧がガッチンコッチンにぶつかり合って中二病的痛々しさを伴う台風が上陸し、アホとしか思えないアホ毛が梅雨前線を引き連れてくるんです」

 「君は面白い例えをするね」

 男子生徒は愉快にほほ笑むが呑気にしていられなかった。鏨の脳内は焦りでいっぱいになる。
 何故なら扉越しとは思えない音量で台風の声が聞こえてくるからだ。

 「とにかく、ここの部員が来ちゃ……」

 「よう、鏨!1番乗りなんざ生意気な事しやがって燃やしてやろうか!!」

 物騒な物言いとともに明るい声をあたり名一杯に響かせて荒々しく扉を開け放ったしっぽ頭を目にした途端、鏨はあちゃぁと頭を抱えた。

 







 















































 
 
 
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ