主・一般

□姫蛍―ヒメボタル― ★
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骨と皮ばかりになったか細い身体が、柔らかく冷たい土の上に倒れ込む。隙間風のごとき呼吸音が、その弱々しさには似つかわしくない程に、夜の林に広がる闇に響いた。

目の前に力なく横たわる女は、今し方私が斬った虚だ。正確には、暴走し虚になりかけていた霊、であったが。








先日、現世で大きな事故があり、大勢の死者が出たことで尸魂界も対応に追われた。数多の霊たちが魂葬の対象となったが、その中に若い恋仲の男女がいた。

彼らは死後も互いを支えとしており、尸魂界に送られた後も二人共に歩むことを誓い合っていたが、魂葬を任された死神たちの会話を偶然聞いたことで、彼らは知ってしまった。

現世から尸魂界に送られた霊は皆、生前の記憶を全て失い、関わりのあった者とも別離することになるのだと。


二人は魂葬を拒み、現世に留まったまま逃走したが、霊は魂葬されなければいずれ虚と化してしまう。事態を憂慮した総隊長により派遣された護廷隊の席官たちが、彼らを追跡し発見するまで、時間はかからなかった。

女は男に庇われて逃がされたものの、男の方は捕らえられ、彼女の目の前で魂葬され消えた。


彼女は元々強い霊力の素養を持っていたらしく、男が魂葬された際の感情の高ぶりによってそれが暴走し、衝動のままにその場にいた死神たちを殺害した後、行方が分からなくなっていた。

再び発見された時には、霊力の暴発や強すぎる負の感情の影響で霊圧の虚化が急速に進んでおり、理性を完全に失い暴走を続ける彼女を鎮めるべく私と恋次が派遣された。










つい先程まで、他の数多の虚と同じく巨大な化け物の姿であった女は、今は一介の霊であった時と変わらぬ、ただの非力な人間の姿となっていた。

まだ魂が完全には虚になっていなかった為に、すぐに消えることなく元の姿を取り戻せたのだろう。



「……う……」

死んだように横たわっていた女が、不意に苦しげに呻き、身じろぎをした。

(まだ意識があったか)

私が歩み寄ろうとしたその時、



「―――隊長っ!!」

振り返ると、瞬歩で姿を現した恋次がいた。

「隊長、あの娘は、……!!」

恋次は倒れた女を見ると、すぐさま駆け寄りその身体を抱き起こした。

「おい、しっかりしろ!」

「……死、神……?」

「もう大丈夫だ、お前の虚の力は消えてる。これで、無事に尸魂界に行けるな」

「そうる、そさえてぃ……」


女は何処か遠くに視線を向けると、悲しげに呟く。

「行きたくない……だって、あっちに行ったら、私は彼のことを忘れてしまうんでしょう?彼、消える時に言ってたもの。『君だけは、僕を覚えていて』って……列車が倒れていくとき、『死んでもずっと一緒だよ』って言い合ったのに……死んだらそこでさよなら、だなんて」

既に光をほとんど宿していない女の目から、涙が次々と零れ落ちる。同時に、その身体から、青白い炎のようなものが微かに上り始めた。

「!隊長、これ……」

「現世への未練と負の感情の為に、鎮まっていた霊圧が再び虚化しようとしているのだろう」

「そんな!おい、落ち着け!虚になんかなるなよ!さよならなんかじゃねえよ、その好きだった男が尸魂界にいることは変わりねえんだし、だから、その……」

恋次は言葉を詰まらせる。



このままでは、彼女は再び魂を蝕まれてしまうだろう。

隊長格の斬魄刀で一度斬り伏せられても、まだ虚化の余韻を残す程だ。今度は更に強大な虚と化してしまうやも知れぬ。

ただでさえ理不尽な災いで命を落としたというのに、死後も尚、二度も刃にかけられるなど……あまりに哀れだ。

許されぬやり方であれど、彼女を安らかに逝かせるには、これしか……


私は意を決して、恋次の隣にしゃがみ込むと、諭すように女に言った。

「案ずるな……兄と恋仲の男は、永遠に引き裂かれてはおらぬ。いずれ、また逢えよう」

「……え……?」

女がゆっくりと、私に目を向ける。

「尸魂界に送られた霊たちは、流魂街と呼ばれる居住区に身を置くことになる。流魂街は幾つかの地区に分割されてはいるが……生前に深い関わりのあった者同士ならば、地区も近く、何処かで顔を合わせることもままあるだろう。例え記憶を失くしていようとも、何度か顔を合わせていれば、自然と生前のことも思い出してゆける筈だ」

「隊長……それ、」

恋次が何か言いたげに私に目を向ける。

女は弱々しい表情のままでありながらも、驚いた様子を見せた。

「……本当に……?本当に、また彼に逢えるの……?」

「ああ。誠だ」

「……良かった……」

女は心底安心したように呟くと、不意に視線をずらした。



「綺麗……」

見上げると、辺りに満ちた闇を彩るように、淡黄色の鋭く小さな光が無数に瞬いていた。

空中を彷徨うもの、木々に止まって光を灯すもの。

まるで我等を包み込むように集まったそれらは、霊体が消滅する際、崩れていく身体が化す霊子の光に酷似していた。


……酷似している筈だ。恋次の腕に抱えられた女の身体は、既に崩れ始め所々が霊子と化していた。

林を彩る光に混じり、現世での役目を失った魂の欠片が空へと立ち上る。

「姫蛍……彼、この場所が大好きだったのよ。蛍の数が減ってきている中、ここは貴重な穴場なんだって、毎年よく一緒に連れてきてくれたの。彼との一番の思い出の場所……心を失くしても、私、ここはちゃんと覚えてたみたい……」

もうほとんど形を成していない腕を空に向けて伸ばし、女は幸せそうに微笑む。生気を失っていた瞳に、ほんの僅かだが光が戻ったように見えた。

だが、その瞳も、瞬く間に霊子と化して形を失う。

「向こうで、逢えたら、また、一緒に……」

最後の言葉は途中で途切れた。

女の身体が全て崩れ切り、最後の霊子が空へと立ち上ると、やがて見えなくなった。


後には、静寂と、姫蛍たちの発する淡黄色の光、そして我等だけが残った。
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