二万打達成企画!!
□少女S〜信じていたい〜 ★
1ページ/8ページ
「……恋次が、一人で遊郭へ?」
「はい。流魂街へ警邏に出向いた際、偶然店に入るところを目にして」
夕暮れ時の自室。目の前に座すルキアの瞳は真剣で、偽りを申しているようには見えない。しかし、抑えきれない動揺のせいか、日頃の凛とした輝きは幾分か薄れてしまっていた。
「見間違いではないのか」
「私もそう思いよく見直したのですが、確かに彼奴でした。本人を問いただしてみると、否定はしたものの明らかに何か隠している風で」
「他に連れの者は?」
「彼奴一人でした。場所が場所だけに、他の隊長格の方が度々訪れるようにも見えませんし…」
信じられないといった様子でルキアが話す。
「……分かった。恋次には私から改めて話をしよう。このことは他言無用だ」
「はい」
ルキアは一礼すると、静かにその場を去った。
一人になった私は、次第に薄暗くなっていく部屋の中で考え込んでいた。
恋次の様子がおかしいことは、私も薄々感じていた。ここ数週間ほどのことだが……何でもない風でいながら霊圧が揺れ動いていたり、私の傍にいる時にも何処か不安げな表情を見せたり。
藍染の捕縛から半年……尸魂界にも平穏が戻りつつあるものの、未だその爪痕は癒え切っておらず、護廷隊上層部の面々は多忙な日々を送っている。何か、職務上のことで悩み事でもあるのやも知れぬ、と心配していたのだが。
(……どういうつもりだ、彼奴は)
個人的な事情を差し引けば、彼奴を責める理由は何処にも無い。職務を放り出して行ったわけでもなく、店の遊女と問題事を起こしたわけでもない。ある程度の地位のある死神ならば、偶の遊郭通いなどさして珍しくもないことだ。事実、彼奴とて私と現在のような仲になるまでは、他の死神と連れ立って出かけていたと聞く。
しかし、私と恋仲になってから今までは、彼奴の斯様な素振りを見たことも話を聞いたことも無かった。
私が気付かなかっただけのこと、であろうか。
いや、恋次はそれほど偽りの上手い男ではない。私とて公私にわたり近い場所にいるのだから、そう長く見逃していたとも思えない。
「……ともかく、本人に確かめねば始まるまい」
誰にともなく、私はそう呟いた。
「はっ?遊郭……へ?俺が?」
翌朝、執務室で恋次に尋ねてみると、ルキアの話の通り動揺した表情と様子で答えが返ってきた。
「そ、そんなわけないじゃないスか!一体誰がそんなこと…あ、ルキアっスか!?」
饒舌になりながらも、私とは目を合わせようとしない。明らかに様子がおかしかった。
「…やはり、事実か?」
「だから違いますって!」
「私の目を見て言え」
「どうでもいいじゃないスか、そんなこと」
煮え切らない態度を取る恋次に、私も次第に苛立ってきた。
「…日頃私を好き勝手に縛っておきながら、自分は随分と見境がないことだな」
自分でも珍しいほど不機嫌な声で、私は言った。すると、意味もなく書類をめくっていた手を止め、恋次が私の方へ目を向ける。
「なっ……いつ俺がそんなこと」
「そうではないか。一人で宴の席へ出向けば何かなかったかと五月蝿く問いただし、他の隊長格と共にいる時でも突然割って入ったりと…」
「アンタが酔うと無防備になりすぎるのが悪いんじゃないスか!あと、京楽隊長や更木隊長に色目使われてても気づかねえし」
「何を訳の分からぬことを…」
すると、恋次は書類を机に置き、完全に私の方へ向き直った。心なしか、霊圧が上がっている。
「隊長、自分が周りからどう思われてるか知らないんスか?アンタの周りの奴全員がアンタみてえに高潔な訳じゃないんスから。ちょっとは警戒心持ってくださいよ」
「…常日頃から言われている台詞だが、答えは同じだ。私は誰にでも心を許しているつもりはない」
「そう言いながら、『仕事のため』って誘い出されて襲われたこと何回ありました?」
「取るに足りぬ相手ばかりだ、事実、今まですべて私の手で退けてきた。何の問題がある?」
「そりゃ、アンタの腕は信用してますよ!けど、やっぱり心配っつうか…もっと言えば、手え出されたかどうかじゃなくて、そんなことがある時点で嫌なんスよ、俺は」
「隊長格である以上多くの死神と関わらぬわけにはいかぬ、時には密談に加わらねばならぬこともある。それは仕方のないことだ」
「でも、」
「私はお前のものではない!」
苛立ちのあまり、私はつい刺々しい声で恋次の言葉を遮ってしまった。
すると、恋次が一瞬はっとしたような、そして僅かに傷ついたような表情を見せる。
(……斯様な表情をしても、ならぬものはならぬ)
私が黙っていると、恋次が溜め息と共に口を開いた。
「……そうっスね。アンタは俺のものじゃない」
一言そう言うと、そのまま私から離れ、己の席に向かった。
それから一日、執務室にいる間、私と恋次は一言も言葉を交わさないままだった。
定時を少し回った頃、私は十三番隊舎の廊下を歩いていた。
浮竹へ急ぎの書類を渡すためだ。まだ隊舎に残っている隊員も多い故頼むことも出来たが、どうしても部屋を出る口実が欲しかった。
歩きながら、私は朝恋次にぶつけてしまった言葉を思い返し、心が沈むのを感じていた。
『―――私はお前のものではない!』
実を言えば、私とて、本心からあのような言葉を放ったわけではない。
本当ならば、彼奴以外の男と二人きりになりたくなどない。決してこの身に触れてなど欲しくはない。
私の地位や権力を手に入れることを目当てに、邪な感情を抱く輩がいることも承知している(尤も恋次が言うところでは、それ以外の目的の者たちが大半である、とのことだが)。しかし、そういった者たちと全くかかわりを持つなというのも、無理な話だ。
そして私自身、それがもどかしくもある。
しかし、彼奴とて人のことは言えぬはずだ。
私と違い、人懐っこく誰からも好かれる性質の彼奴は、常に多くの死神たちの憧れと思慕の眼差しをその身に受けている。
部下の死神から想いを告げられるところも幾度となく目にしてきた。
そしてその度…悲しいような、悔しいような、何とも形容し難い気持ちになる。
同じ立場である私には、何も言う資格は無いというのに。
だからこそ、互いの間にある思いだけは大切にしたいと思ってきた。
私は職務のためだと言われなければ他人に付いていくことなど滅多に無く、他の者と会ったとしても、そのことを恋次に隠すようなことも無い。
恋仲になったばかりの頃に比べれば、自分の中にある感情も随分素直に出せるようになってきた。
不快な思いをさせている分、私の心だけはお前のものなのだと、理解してもらえるように振る舞ってきたつもりだ。
だが、彼奴は。
一人で遊郭へ出向いたということは、他の死神に誘われたわけでも、待ち人がいたわけでもないだろう。
自分の意思で出向いたということに他ならない。
一体、何のために―――
彼奴を疑っているわけではない。
いつもその温かい手で私に触れ、太陽のような笑顔で私に笑いかけてくれる。
彼奴が、私を裏切るなどとは思っていないが…
私は、片手でそっと自分の髪に触れる。
恋次がいつも、『艶やかで綺麗だ』と評してくれる、長い黒髪。
彼奴に触れられるようになってから、柄にもなく手入れに念を入れるようになっていたが、このところは忙しさのあまり思うような手入れもできずにいた。
「…また、せめて以前のようには戻しておかねばな」
飽きられぬように―――という言葉が頭に浮かびはしたが、口には出なかった。
「白哉?」
ふとかけられた声に顔を上げると、何時の間にか傍にいた浮竹が心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫か?何か悩み事でもあるのか」
「ああ、いや…これを渡しに来ただけだ」
書類を受け取ると、浮竹はなおも気がかりそうに言葉を続ける。
「本当に何でもないのか?朽木も、昨夜お前が元気が無かったって心配してたぞ。あいつも何か悩みがありそうだったが……あまり溜め込むんじゃないぞ」
「ああ」
「何なに、どうしたのさ」
その時、偶然近くへ来ていたらしい京楽が、私の方へ歩いてきた。
「白哉がまた調子を崩してるみたいなんだ。お前、良かったら隊舎へ送って行ってあげてくれないか?俺、どうしても手が離せなくて」
「了解。じゃあ朽木隊長?行こっか」
京楽が笑顔で片手を差し出す。
私はその手を前に、一瞬ためらいを覚えた。
恋次以外の男の手を自分から取ることなど、普段はあり得ない。京楽がこうして手を差し出してくるのも、大抵それを知っていての冗談に過ぎぬ。
だが、私の中に湧いていた疑念が、その信条を激しく揺らがせていた。
「……あれ?どうしたのさ、珍しい。明日は季節外れの雪でも降るんじゃない?」
己の手を握った私の手に驚きを露わにしながら、京楽は私を見つめた。
「…深い意味はない」
「なーに?気になるなあ」
その時、京楽はふと私の髪に目を留めた。
「あっ、そういえば君、近頃随分髪が綺麗になった気がするんだよね。前から美しい黒髪だったけど」
そう言って、私の髪に手を伸ばす。
「っ?京楽、何を」
「あの子のため?………妬けるね」
優しい手つきながらも、確かに髪に触れたその手に、私は言いようのない焦りを感じた。
(嫌だ、この髪は恋次のために―――)
「――っ京楽!」
私が、京楽の手を振り払おうとしたその時。
「隊長?」
聞き覚えのある声に顔を向けると、恋次がいた。
「何、してるんですか?」
その言葉に、僅かだが疑念めいた調子が含まれている。
「っ!恋次、」
「あれ、どうしたの?こんなところで」
そう返す京楽はなおも、私の髪に触れている。
「―――っ!!来てくださいっ」
「痛っ!恋次、何を!」
いきなり強い力で私の腕を掴んだかと思うと、恋次はそのまま大股で歩きだした。
「阿散井君!?どうしたんだ、そんなに霊圧を跳ね上げて―――」
慌てる浮竹の声を振り切るように、恋次は私を連れて瞬歩でその場から消えた。