小説2

□幼い頃の、雨の日に。
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春の終わり…にしては、肌寒い日だった。この前買ったばかりの上着を羽織った。
ティッツァが選んでくれたジャケット。最近のお気に入り。似合ってますよ、と声をかけてくれた彼に笑ってみせた。
「今日も遅くなりますよね」
「ああ、多分」
「気をつけて」
そう言って微笑むティッツァは、何か言いたげな様子だった。
今日、俺はボスに会う。仕事の報告。表向きは、そうなっている。
だが本当は違う。あの人は、月に一度俺を呼ぶ。その本当の意味を、きっと恋人は知っている。
あえて、聞かないでいてくれる――。


今から行きます、と電話して、車を出した。
曇り空の夕方。疲れた顔をしたサラリーマンなんかが街を歩いていた。
いっそ、雨が降ればいいのにと願った。


まだ、子供の頃。俺はあの人に…ボスに拾われた。もっとも、その頃はまだボスではなかったが。
両親が事故死した。それなりに裕福な家庭だった。遺産はほとんど親戚の連中が持っていった。そんな事はどうだって良かった。大好きだった、父さんと母さん。
全て嫌になった。
通っていた私立中学。寮を飛び出して、一人街を彷徨った。そのまま、もう学校には戻りたくなかった。かといって、行き場もない。
その日は酷い土砂降りだったんだ。傘も持たず、軒先に座り込む俺。
今でも、昨日の事のように思い出せる。
ゆっくりと近寄ってきた高級車。窓を開け、話し掛けてきたあの人。
「君、こんな所で何してる?」
俺は、その日からボスの元で育った。身寄りのなくなった俺を弟のように大事にしてくれた。幼い俺は父や母以外にこんな優しい大人がいるのかと、心から感謝して、ボスに懐いた。
16歳の、あの日までは。


街の中心部にある、とあるホテル。車を停める。
重い足を引きずりながらロビィに入る。
此処であの人に会うのは三度目…何回来ても、この緊張と、胃をしめつけられるような不快感には慣れない。
いつものコーヒーラウンジ。あの人は奥の席にいた。俺に気付き、微笑む。
優しい笑顔。人前で見せる、ごく一般人を装うカオだ。長い髪を一つにまとめて、ブランド物のスーツを着ていた。
「早かったな」
「この時間にしては、車が少なかったんです」
俺がウェイトレスに注文を告げてからコーヒーが来るまで、どうでもいいような事を話した。
こんな所で俺達の仕事の話など出来るわけがない。が、彼は話題が豊富だ。サッカーの事から、政治の事まで。
「食事はどうする?もう部屋に行くか?」
「あ…、食事は結構です」
「じゃあ行こうか。俺も煙草が吸いたいんだ」
何年か前の禁煙法のせいで、この国の飲食店では煙草が吸えなくなった。煙草が苦手な俺にとっては助かるのだが、彼はいつも不便そうにしていた。
席を立った彼の後を歩いた。この後の事を考えると、脳裏に恋人の顔が浮かび、胸が痛くなった。


上品なインテリアの部屋。ソファーに座り、煙草に火をつけた彼に、書類を渡し、任務の報告。
たいした内容のものじゃない。わざわざ今日でなく次回、ティッツァと共に会う時で良かったようなものだ。
彼が俺を呼び出す、本当の理由。
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