小説2

□良い母親の、話。
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「じゃあ行ってくる。夜には帰るからさ」
そう言って玄関で振り返った俺を、ギアッチョは笑顔で見送ってくれた。
「飲んでくるのか?気つけてな」
彼にキスをして、家を出る。鞄の中に入れた携帯のバイブが震えた…が、ギアッチョには気付かれていないようだったので、無視した。あの女、むやみに電話をかけるなと言ってあるのに。
車に乗ってから、かけなおす。
「もしもし?悪い。ちょっと出れなかったんだ。今から行くよ」
ギアッチョには、プロシュートと飲みに行くと話している。嘘っぱちだ。
女に会いに行く。O型で乙女座。次の任務に使うベイビィの母体にぴったりだ。俺はこういう女を常に複数キープしている。
ギアッチョは…もしかしたら、気付いているかも知れない。でも、何も言わない。


「仕事中だった?電話しちゃってゴメンね」
「いや、構わないさ」
イルマは機嫌良く微笑んで、赤ワインを口にしていた。
昼下がりのレストラン――。店内に客はまばらだった。安いだけが取り柄のような店。たいして美味くはなかったが、この女…イルマにはそれでじゅうぶんだと思った。
「ねえ、俳優のエドワードを知ってる?最近歌手と結婚した…」
「いや、知らねぇ。あんまりテレビは見ないからな。何でだ?」
「メローネに少し似てるのよ。ブロンドの…オットコマエよ!ふふっ!」
くだらない。適当に話を合わせてやると、何がそんなに楽しいのかイルマはケラケラとよく笑い、饒舌に喋りだした。
白い指に、高そうな指輪が輝いていた。どうせ客に買わせたんだろう。イルマは酒場で知り合った女だ。後に、体も売っていると噂で聞いた。
クズみたいな淫売。同じだ。俺の母親と。家じゃあ酒を呑んでは俺を殴り付けて、汚い言葉で罵った。
そのくせ、外で男と会う時はこうやって、いい顔を見せていたんだろうか。
「メローネ。次の日曜…うちに来ない?狭いアパートだけどさ」
「日曜?いいね。行かせてもらおうかな」
「晩ご飯作るわね!」
日曜か。ちょうどいい。来週が任務なんだ。そろそろ…『出産』させようと思っていたから。


帰宅して、すぐにシャワーを浴びた。イルマの香水の香り。安物の、甘ったるいだけの下品な香り。すぐに掻き消してしまいたかった。
鏡を見る――。首元に付けられたキスマークに腹がたった。うまく髪で隠せるのが、唯一の救い。前髪をあげると、普段隠している右目に視線がいった。
オッドアイ。左目より色素が薄い右目。母に殴られて瞳孔をやられたせいで、こうなった上に、視力をほとんど失った。
俺の右目には、何も写らない。クソみたいな女共と同じような、ぼんやりと曇った空虚な眼差し。
その後、ギアッチョを抱いた。プロシュートは元気だったか、だなんて一切聞かなかった。彼はおそらく、気付いている。
罪悪感と、やるせなさに襲われる。
いつもより執拗に攻めたてた。メローネ、メローネと繰り返して鳴く彼が愛しくて、何度もキスして愛撫した。


「嘘でしょう?やめてちょうだい」
日曜日。
ボロアパートの一室。イルマは震えていた。床にへたりこんで動けないイルマ。腰が抜けた上に、両足の足首から下は、ベイビィによってバラバラにされちまったのだから。
「化け物、近寄らないで!」
いつもなら…なんの躊躇いもなく、殺すんだ。跡形もなくバラバラにして、立ち去るだけ。
それなのに、なぁ。なんでだ?
「ママ?ママぁ?」
イルマの隣。ガキがいたなんて。
2つか、3つくらいの男のガキだ。イルマとそっくりな黒髪に鳶色の瞳。まだ何も分からないのか、母にすがりついていただけで、泣く様子はなかった。
「メローネ、お願い!」
目の前に現れたベイビィ・フェイスと、ぐちゃぐちゃにされた足…錯乱して泣き叫んでいたイルマは、ガキを抱き締めた。
「この子だけは!この子だけは殺さないであげてちょうだい!」
「イルマ…」
ディ・モールト…良い母親じゃあないか。
クソみたいな売春婦だと思っていたのに、子供だけは…大事にしてたのか?
「お願いメローネ!この子は!この子だけは、メローネ!」


部屋には、イルマもガキの姿ももうない。
ベイビィは、腹ぺこだったの!美味しかったです!と笑った。頭を撫でてやり、部屋を出た。
一瞬にしてイルマが細かい無数の正方形に形を変えた時…。ガキは、初めて泣き出しそうな顔をして俺を見上げた。
不安げな瞳。震える口元。ガキの顔を見た時、幼い頃の俺が脳裏に浮かんだ。

ママ、ぶたないで!
ママ、ごめんなさい、やめて、やめて、ママ……
いい子にするから!


「メローネ、おかえり」
ギアッチョは、いつものように俺を迎え入れてくれる。
寒かっただろ、と暖かいコーヒーを淹れてくれた。
何も聞かない。
けど、彼は分かってくれているんだろう。
「ありがとう、ギアッチョ。今日は少し疲れたな」
そう呟くと、不意にキスされた。強く抱き締めた。
俺の唇に、頬に…。
最後に、右目に繰り返し唇を落とされた時。
ぽろぽろと、涙が零れた。


END

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