小説2

□Pangaea
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「眠くなったら寝てくれて構わない。俺はもう少し起きてる」
そう告げると、彼は読んでいた小説に再び目を通しはじめた。
「…ああ」
そう答え、パソコンを眺めるふりをしながら、彼の姿を盗み見る。
手入れの行き届いた黒髪。長い睫毛。気品のある目元に、形の良いふっくらとした唇。しなやかな身体。
綺麗だ。本当に、美しい男だと思う。
彼――ブチャラティの部屋。今日は二人で仕事を終えた後、飯を食いに行って…泊まっていくか?と声をかけられた。
ここに泊まるのは初めてではない。彼は、チームの中でも親しいほうだ。泊まったからといって、特別なにをするでもない。彼はこうやって好きな事をしているし、俺も気にしない。
気を使うような間柄ではないのだ。
ただ、最近どうも俺は彼といると落ち着かない。特に、こうやって二人きりでいると。
頬に触れる髪をとかす仕草が、本のページを捲りつつ、時折ワインを飲む姿が、気になって仕方がない。
ラフな部屋着の黒いシャツ…少しゆったりとしたサイズのそれは、身体の細さが強調されるようで色っぽかった。
「アバッキオ。お前今朝早かっただろう。寝ないで平気なのか?」
「…大丈夫だ。いつも結構遅くまで起きてるからな」
そんな会話を交わすと、再び、沈黙。それが気まずくならないのは、彼の部屋は常に音楽が流れているからだ。確かマイルス・デイビスと言った。ジャズだ。それをブチャラティはいつも、静かに流していた。やや聞き取りにくい程度の小さめの音量。それくらいが丁度良いのだと彼は言った。
俺はジャズは分からない。だが確かに、この空間に静かにたゆたう音楽は心地よかった。
ブチャラティは、寝ないのか、と尋ねた。眠れない。眠れたものではない。
ブチャラティと二人でいると、胸のうちがかぁっと熱くなるような、なんとも言えない感情に襲われる。
「なぁ。あんたの部屋…いつ来ても綺麗に片付いてんだな」
「そうか?」
彼の部屋が散らかっていた事など一度もない。若い男の一人暮らしで、ここまで整頓されているのも珍しいだろう。几帳面な彼らしかった。
彼は、一つ年下とは思えないほど落ち着いていて、俺なんかよりずっと大人だった。ギャングとしての覚悟と、もともとの知性がそうさせるのだろう。
「まぁ散らかす暇なんてないからな。最近忙しくて、家にいる事がなかった」
そのくせ、そうやって笑うと笑顔は優しく、女性的でさえあった。妖しさも感じるような色気。
そのギャップがいけないのだと感じさせられた。
「ワイン。俺も飲ませてくれ」
立ち上がり、ソファーの彼の隣に腰掛けようと思った。
素面じゃあ、この状況を乗り越えられないと思った。
「この銘柄は飲んだ事ないな。飲みやすいか?…んっ!」
不意に腕を掴まれる。
驚いて彼の顔を見る。黒髪と対照的な青い目。その大きな瞳が、俺をじっと見つめていた。
「レオーネ」
「あ、ああ?」
「…いや、その」
ブチャラティは俺の腕をぎゅっと掴んだまま、呟いた。
「お前を名前で呼んだ事はなかったな。…レオーネ」
ちょうどその時、CDが止まった――。
澄み切ったブルーの瞳は、どこか笑っているように見えた。
もう、逃れられないと思った。


END

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