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□いつだって、僕らは
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夜の10時。その時間の学校というものはやっぱり雰囲気があって怖い。
そう思いながら校舎を通り過ぎて、多分私の人生を大きく変えてしまったであろう場所に立ち、ふと足を止めた。
なんでこんな時間にこんな場所に来てるのか、特に理由なんてものはなくって、ただ無意識に、伸びてゆく手をフェンスにかけた。



3年前、最後の夏。甲子園まで後一歩のところで敗れた私たちは、散々泣いて泣いて泣き喚いて。
最後の挨拶をこのグラウンドで済ませて、その間もずっと泣き続けて。
私と千代も入れてたったの12人だけでここまで来た3年生は、やっぱり他よりも部活への思い入れが強くて、なかなか受験勉強ばかりという引退後の生活に慣れずに抜け殻のようになってた。
そんな日々ももう半年以上経つと慣れてしまっていたけど、心の隙間の、何か物足りない感覚は相変らずだった。



あの夏の最後を思い出したくなくて引退してからもは勿論、卒業してからも一度も来ていないこのグラウンド。
今でも鮮明に思い出される光景は3年前のみんなの背中で、3年経った今なら笑いながら、懐かしいなぁなんて思えるんじゃないかと思ったけど、そう簡単にはいかないらしい。
まだ私の心の中にはあの日の傷が残っているみたいで目頭がじわりと熱くなった。


その瞬間に私の鞄の中で震えた携帯電話。
すぐそこまで来ていた涙は瞬きと共に一粒だけ落ち地面を濡らした。


「もしもし、」


「お前っ、今どこにいんだよ…!」


受話器から聞こえてきたのは、多分ちょうどバイトが終わって家に帰った頃であろう彼の、途切れ途切れの声だった。
どこから聞いても息が切れている様子で、どうしたんだろうと、思ったままのことを素直に言葉に出してみる。


「どしたの、なんで息切れしてんの?」


「うっせ、いいから、今どこだって聞いてんだよっ、」


「…第2、グラウンド」


「はぁ!?…グラウンド、って、どこのだよ!」


「に、西浦の」


「…っ今行くから、動くんじゃねぇぞ」


そう言って一方的に切られた電話。
…今の様子だと、多分孝介は私のことを探してくれていた。
そりゃそうだろう、本来なら彼が帰ってくるのを家で待っているはずの私がその場にいないのだから。
何も知らせずに家を出てきたから。
怒られるかな、暢気にそう考えて、背中をフェンスに預けて座り込んだ。
フェンスのカシャンという音がなんだかやけに響いて聞こえて、不意に3年前の夏の日に戻ったかのように思えてしまった自分に、自嘲の意味を込めて小さく笑った。




しばらくしてから、誰かの走る足音が聞こえてきて、姿は見えなくても彼だとわかった。
…普通に考えたらこんな時間に走ってる人なんてそうそういないからわかって当たり前か。


彼は私の姿を見つけるなり眉間にシワを寄せて不機嫌そうな顔をした。


「お疲れ様、孝介くん」


「おっまえ、なぁ!こんな時間に一人で、出歩くな、っつーの!」


私も孝介も、3年前とあまり変わらない顔、身長、声。
変わったといえば、長かった私の髪がバッサリなくなって今では孝介と同じくらいになったことくらいで。
3年前の夏に、甲子園に連れて行ってくれると約束した彼は、あの頃と同じ距離にいる。
なのに違って見えるのは、何でなんだろう。
内面が大人になったとか、そんなんじゃなくって、もしかしたら私たちはまだ満たされてないのかもしれない。
あの時できたこの心の隙間は、いつになれば満たされるのだろうか。

私がゆっくりとグラウンドの方に顔を向けると、孝介もそれに合わせて視線を横に向ける。
孝介も今、あの頃のことを思い出しているのかな。


「…あの頃は、楽しかったね」


私が小さく呟いた言葉が聞こえていたのかそうでないのか、孝介は何も言わずに、ただ、少しだけ眉間に皺を寄せたような気がした。


「ねぇ孝介。今と、あの頃…どっちが幸せだったかな」


「…なんだよ、それ」


今度はちゃんと孝介に向かって言葉を投げかける。やっぱり怪訝そうに顔を顰めた。


孝介と一緒にいることは、私にとって当たり前のことで、幸せのひとつだ。
決して今が幸せではないと思ったわけではなくて、うまく言い表せないけれど、あの頃と今では、向いてる方向も、目指している場所も違って、幸せの種類が違うんだろうなって思ったんだ。


「私達も、大人になっちゃったのかなあ」


「早く大人になりたいって喚いてたのはどこのどいつだっけ?」


「さぁ、誰だろうね」


冗談めいた口調で喋る孝介の横顔は、全く笑っていなかった。
きっと、私の顔も。




これからどんなに楽しくて幸せな人生が待っていたとしても、あのときのあの幸せな時間はもう二度と戻ってこないのはわかってた。
わかってたけど、改めて考えたら、また泣きたくなって。
雫が零れ落ちないように、上を向いた。
小さく吐いた白い息がやけに澄んだ空へと吸い込まれていく。





長い人生の中のほんの一部でしかない思い出に、こんなに依存している私は、ただの愚か者なのかもしれない。





3年前の私たちは、輝いてた。
じゃあ、今の私たちはどうなのだろうか。
他人から見たら、くすんでいる様に見えてしまうのだろうか。
あの日を最後に、私達は輝けなくなってしまったのだろうか。

もし、そうだとしても。
あの頃の自分たちの姿を夢見て、また歩き出すしかないことも、わかってる。



「……帰ろうぜ」


「…っく、ぅう…っ、」



溢れ出した涙が、繋いだ彼の手に、静かに落ちていった。











(前だけ向いて、歩いてきた)
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