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□心配しないで。
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眠い目を擦りながらも必死に受けた6時間目の授業。
その授業もようやく残り10分という時。
窓を何かが叩きつける音が聞こえて、目を向ける。
窓にはたくさんの水滴がつき、外には灰色の空からザァザァと降る雫。
今日は何となく雨が振りそうな予感がしていた。
まさかその勘が当たるなんて。
この雨じゃ、グラウンドは使えない。
今日の練習は中か…と、一人気落ちしていると、授業終了のチャイムが鳴り響く。
ホームルームが始まる前に鞄に荷物をつめていると、花井が俺に話しかけてきた。
「今日の練習は無しな。」
「え、なんで!?」
「雨降ってグラウンド使えねーのと、前に篠岡が熱出しただろ。だから今日1日は全員体休めろだってよ。」
「そっか…。」
久しぶりの休みだが、何故かあまり喜べない。
別に、休みが嫌いなわけじゃない。
野球部は休みなんてほとんどないし、あんまり実感はないけど毎日ハードな練習で体は疲れているはずだ。
それでも、部活だって嫌いなわけじゃない。
寧ろその逆で、気づけば野球のことを考えていて、早くグラウンドに行きたいと思ってる。
そんな、毎日野球三昧だった俺達が急に休日をもらっても予定なんて全くないし、何をすればいいのかなんてわからない。
休日の過ごし方なんて、もうすっかり忘れてしまった。
だからと言って家でずっとボーっとしてるのもなんだか勿体無い。
でも外は大粒の雨が降り続いていて、止むどころか一向に強くなるばかりだ。
そのまま特に何も考えずにボーっと外を眺めているといつの間にかホームルームが終わり、みんなは足早に教室から出て行く。
俺も教室を出ようと鞄を持って立ち上がった時、誰かに思いっきり腕を引っ張られた。
「うおっ、あっぶねぇ!」
「あ、ごめんね水谷。まさかそんな簡単によろけると思わなくて。」
舌を出して全く悪気の無さそうな顔をして謝る小悪魔みたいなこいつは俺の幼馴染。で、大好きな彼女。
「久しぶりに一緒帰ろ。今日部活ないんでしょ?」
「お、おぉ。」
イキナリ上目遣いで“いっしょかえろ”なんて可愛いこと言ってくるから、思わずドキッとして目を逸らす。
こんな可愛い仕草、いつの間に覚えたんだろうか。
しかも、俺と一緒に帰るために友達との約束を断ってきてくれたんだろう。多分…。
とりあえず、凄く嬉しい。
彼女は友達と一緒に帰ると思っていたから、一人で帰ろうと思っていたのに、まさか誘ってくれるなんて思わなかった。
いつも部活ばっかりで一緒に帰ることもできなかったし、クラスも違うから滅多に話せない。
メールも部活で疲れているからあまりできないし、彼女の方も俺が疲れていることを気遣ってなのか、メールはあまりしてこなかった。
彼氏らしいことなんて何一つできていないんだけど…良かった、まだ俺嫌われてないんだ。
とりあえず、一緒に教室を出る。
廊下は人で溢れ返っていた。
たくさんの生徒の人ごみの中、隣を並んで歩く俺達。
さっきまでは一緒に帰れることが嬉しくて仕方なかったのに、今は、久しぶりだからなのか、お互いなんだか気まずい。
俺達は幼馴染なわけだから、昔から仲が良かったのに、昔と同じように離すことが難しい。
たった少し離れていただけなのに。
長い沈黙が続く中、彼女が軽く俺の服のすそを掴んで、静かに話しかける。
「ね、水谷。今日の部活が無しって聞いて、私と一緒に帰りたいって、思わなかった…?」
いつもより低いトーンの少し寂しそうな声で遠慮がちに問う彼女。
心なしか俺の服を掴む指先は、震えている気がした。
肝心の表情は、下を向いている所為でよくわからない。
ただ、そんな寂しそうな彼女を見て、胸がチクリと痛んだ。
何も返事をしない俺に、更に彼女は続ける。
「私のことなんて忘れてたでしょ?久しぶりの休みだから一緒に帰ってやろうとか、全く考えなかったでしょ?」
廊下は相変らず人がたくさんいて煩い。
そのはずなのに、彼女の小さな声はしっかりと俺の耳に届く。
明らかにさっきより声も指先も震えていた。
そんな彼女に言葉をかけてやりたいのに、何故か言葉が出ない。
正確には、「忘れてなんかなかった」だとか、「一緒に帰りたかった」だとか、言いたい言葉はたくさんあるのに、今いうべき言葉はもっと別の言葉な気がして、言えない。
やっとの事で俺が声を発しようとした瞬間、彼女が少し顔を上げて俺の方を見た。
彼女の瞳は不安を隠しきれていない瞳だった。
その瞳から綺麗な雫が数滴落ちて、彼女の服を濡らした。
そして、絞り出すように声を出す。
「…っみ、水谷は、私の、こ、と、ほん、とにっ…すっき、なの?」
途切れ途切れのその言葉を聞いた俺は、考えるより早く彼女を抱きしめていた。
彼女は吃驚したように小さく声を漏らす。
彼女は今、泣いている。
俺が、泣かせたんだ。
小刻みに震える小さい体。
どうにかして彼女の震えを止めてあげたくて、力強くぎゅっと抱きしめる。
すると、堰を切ったように彼女は声を上げて泣き出した。
そんな彼女がただ愛おしい。
彼女の不安を消せるのは、さっき浮かんだ言葉なんかじゃない。
俺は、彼女への思いをしっかり伝えなければいけない。
俺は、抱きしめたまま小さな声で、でも力強く呟いた。
「俺はお前が好き。愛してる。だから、」
心配しないで。
俺には、君が必要だから。
(水谷…すき。だから、一人にしないで。)
(うん、絶対離さない。)
((ここ…廊下なんだけど…。))