short

□その笑顔は誰のもの
1ページ/2ページ

そろそろ夏大が近くなり、西浦高校野球部は5時集合の朝練から始まり、夜9時に部活終了、という結構にハードな日々が続いていた。


今日もようやく1日の部活が終わって家路に就く。
こんなにキツイ練習なのに、こんなにヘトヘトになるのに、今の部活はすごく楽しいと思える。



いつものように全員でコンビニに寄って、それぞれの方向に分かれて自転車を漕ぐ。

家の近くまで来た時に、俺のケータイが震えた。
自転車を漕ぎながらケータイを開いてメールを確認する。


“今あずさの部屋にいるよ!”


と、一文だけ書かれたそれは、俺の彼女の名前からのメールだった。


――つーかなんで勝手に部屋入ってんだよ!


俺は少しだけ自転車を漕ぐスピードを速めて、家までの残り少しの距離を走った。





家に着いて玄関を開けると、そこには確かに名前の靴があった。
さっきのメールは本当だったらしい。
別に信じてなかったわけではないけど。

リビングへ向かうと案の定、親に名前ちゃん部屋に来てるよ、と言われた。

なんで俺の家に来たかはわからないけど、最近ほとんど一緒にいる時間がなかったから少し安心した。
なかなか話したり会ったりできないと、他のやつのとこにいっちゃうんじゃないかとか、結構不安になる。


自分の部屋のドアを開けると、名前は俺のベッドに寄りかかる様にして床に座ってケータイを弄っていた。

俺を見てパッと顔を明るくする名前。
それを見ると、俺の口元も自然と緩む。


「梓おかえりー!」


名前が俺の腹に勢いよく突進してきた。
痛い、と思ったけど正直嬉しい、とも思った。
こんな風に名前に触れたのは久しぶりだった。

俺の腰にぎゅっと腕を回してくっついてる名前のふわふわの髪を撫でてやると、さらに腕の力を強くして顔を埋めてくる。
そんな名前が可愛くて、愛しくて、なんとも言えない幸せな気分になった。
名前の俺とは違う小さくて華奢な体とか、温かい体温とか、女の子らしい匂いとか、ずっとこのまま抱きしめていたい…。



すると俺は、ふとある事を思い出した。

ずっと考えていた事だったのに、名前が急に飛びついてきた時からすっかり頭から消えていた。


俺は少し名残惜しいと思いながらもゆっくりと名前の体を離した。


「あずさ…?」


名前がきょとんとした顔で俺の顔を見上げた。


「そういえばさ、なんか用あって家来たんじゃねえの?」


「へ?あ、や、その…用っていうか…」


俺が問うと、急に目線を下に向けて言いにくそうにモゴモゴと口を動かす。


「…に……った、から」


「え?」


目線どころか顔まで下に向けてしまった名前が、蚊の鳴くような声で呟いた。

俺が顔を覗き込んで聞き返すと、さっきより少し大きめな声でもう一度呟いた。


「梓に、会いたかったから」


今度はちゃんと耳まで届いた言葉に、俺の体温が上がっていく感じがした。

名前は、まるで赤くなった顔を隠すようにまた俺に抱きついてきた。
ふわっと揺れる髪から一瞬だけ見えた耳は、赤くなっているように見えた。


「梓も、会いたかった?」


抱きついたままで聞いてくる名前を、俺はぎゅっと抱きしめて耳元で囁いた。


「すっげぇ会いたかった」


すると、名前は真っ赤になった顔を上げて俺を見て、ニコッと笑った。

その笑顔に、俺は思わずキスをした。

その笑顔のもの

勿論、俺だけのもの。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ