「おお振り」×「ダイヤのA」

□挑戦!その9
1ページ/2ページ

「おめでとう〜!」
沢村がグラスを掲げ、三橋は「ウヘヘ」と笑う。
阿部は御幸と共に、子供のようにはしゃぐ2人を見守っていた。

3月某日、プロ野球が開幕した。
御幸は今年も開幕からスタメンマスクをかぶっている。
おそらく日本でプレイするラストシーズン、全試合出場を目指しているだろう。
そして三橋は1点リードした8回からクローザーとして登板。
見事に無失点に抑え、開幕戦勝利を飾った。

そして深夜、マンションに戻ったところで、ささやかな祝勝会だ。
明日も試合があるので、がっつり飲むことはできない。
阿部が用意したカロリーライトな夜食とノンアルコール飲料。
三橋の部屋でそれらを並べていたところで、タイミングよく沢村も帰って来た。
ちなみに沢村のチームも初戦勝利したが、沢村の登板はなかった。

「三橋、初セーブ!おめでとう〜!」
沢村は元気いっぱいにグラスを掲げる。
中身はレモン風味のノンアルコールカクテルだ。
三橋は「ウヘヘ」と笑いながら、カチンとグラスを合わせた。
こちらはピーチ風味のノンアルコールカクテルだった。

「あんな甘そうなもん、よく飲めるな。」
御幸はノンアルコールビールを缶のままゴクゴクと飲んでいる。
そして阿部に「お前は遠慮する必要ないぞ」と言った。
選手でない阿部は、別に酒を飲んでもかまわないという意味だ。
だが阿部は「いや。オレもチームの一員のつもりなんで」と笑った。
その手元には御幸と同じ、缶のままのノンアルコールビールがあった。

「にしても、うちらも沢村ンとこも関東でよかったっすね。」
阿部は楽しそうに話し込む三橋と沢村を見ながら、そう言った。
御幸は一瞬、驚いた表情になったが、すぐに「まぁな」と笑った。

プロ野球選手はドラフトという制度があるので、最初の球団を選べない。
御幸と沢村が関東のチームに所属できたのは、偶然だった。
でもそのおかげで、こうして都内に住める。
遠距離恋愛にならず、同じマンションで頻繁に会うこともできるのだ。

でも、それにしても。
阿部は心の中だけで、こっそりとため息をついた。
御幸はどうやらまだ沢村にメジャー行きを伝えていないらしい。
知った時の沢村の動揺を思うと、阿部でさえ心が痛むのだが。

「栄純、君。だい、じょぶ?」
阿部の思考を遮るように、三橋の声がした。
御幸が「あ〜あ」と呆れている。
ノンアルコールカクテルを飲み干した沢村の首がグラグラ揺れている。
この短い間に、沢村は寝入ってしまったのである。

「栄純。起きろ」
御幸が沢村の横に立ち、静かに肩を揺する。
それを聞いた阿部は思わず目を瞠った。
御幸は滅多に沢村のことを「栄純」とは呼ばない。
少なくても阿部や三橋がいるところでは「沢村」だ。
それどころか2人きりでもなかなか名前呼びしてくれないと、沢村が文句を言っていた。

「沢村を部屋に放り込む。悪いが手ェ貸してくれ」
御幸が沢村を荷物のように担ぎ上げた。
阿部が立ち上がると、すかさずドアを開ける。
三橋は沢村のジャケットのポケットから鍵を取り出すと、沢村の部屋のドアを開けた。

「御幸先輩が『栄純』って呼ぶの、珍しいよな。」
沢村と御幸が出て行った後、阿部は笑う。
だが三橋に「オレ、たちも、だよ」と返された。
そう、阿部と三橋も未だに照れくさくて、人前での名前呼びはハードルが高かったりする。

「片づけはオレがするから、お前は早く休め。」
阿部は三橋に声をかけると、グラスや空き缶を片づけ始めた。
三橋はコクコクと頷き、寝る支度に取り掛かる。
シーズンオフなら手伝わせるところだが、今は三橋の体調が一番だ。

「とにかく今年も始まったか」
阿部はひとりごちながら、グラスを洗い始めた。
明日も三橋が元気で投げられますように。
少しでも長く一緒にいられますように。
いつだって阿部の願いはシンプルだ。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ