Blue Hour-72140-

□Die Sonnenblume ist gegenüber dem Himmel.
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「今日もいい天気だよ」

白い建物の、白い部屋。
簡素なベッドに横たわる少女に、声を掛けた。

窓の外には、幾本もの向日葵が空を仰いでいる。

「ほら、向日葵が綺麗だろう」

見えるはずもないその黄色い花を指さして。


アタシは、くつりと笑った。





Blue Hour-72140-
Die Sonnenblume ist gegenüber dem Himmel.





シエル空軍本部の二階に、アタシの城はある。

医療用のベッドが3つに、その他多くの医療器具が並ぶシェルフ。
壁から何から、どれも白を基調とした清潔感のあるこの場所が、アタシの職場であり、城でもある。

白紙のカルテに治療内容を書き込みながら、デスク脇の椅子に腰かける男をちらりと見遣った。

「全く、そんな掠り傷でわざわざ来るんじゃないよ」

言うと、男はいつもの調子でへらりと笑ってみせる。

「いや、ワコが行って来いって煩いんすもん。つーか、イツキさん俺にだけ厳しくないっすか?」

その問いかけにはわざと答えず、塗り薬の入った小袋をすいと差し出した。

「アサヒ。これ塗っときゃ治るから。ワコにもそう伝えときな」

「へーい。ありがとうございましたっ、と」

にかりと笑って、アサヒ・サイソウはアタシの城を後にする。

――イツキさん、俺にだけ厳しくないっすか?

「……嫌いなんだよ」

ぱたりと静かに閉められた扉を見つめながら、ほんの僅かに独白が漏れた。




「妹さんの命は、助かりました。ただし、もう」

医師からそう宣告を受けたのは、アタシが16の頃で。
妹は、11だった。

「お花、摘んでくる!」

そう言って街外れの丘に出かけた彼女を、何故止めなかったのか、と。
アタシがあの時、止めてさえいれば。
こんな堅いベッドの上でただ眠っているだけの人生を送る事など、無かったかも知れないのに。

妹は、花を摘みに出掛けていた丘に墜ちてきた、フレアとか言う銀色の戦闘機の爆発に巻き込まれて重傷を負った。
その機体を墜としたのは、自国の空軍だった。

駆けつけた病院で、担架に乗せられた妹の顔には、無数の傷跡があり。

「おね……ちゃ……」

薄らいでいたであろう意識の中、弱々しく差し伸べられた裂傷だらけの細い手には、花弁がほとんど取れ落ちてしまった向日葵が握られていた。

「おた……じょ、び……おめで、と……」

そうして僅かに微笑んだあの表情(かお)を、あの声を。
アタシは今でも鮮明に思い出す。


アタシが軍医になったのには、それなりの訳がある。
妹を助けたい、という事はもちろんだったけれど、その他にも目的があった。

見てみたかったのだ。
あいつらが、国籍不明機と闘い、国を守ると豪語するあいつらが。
どれほどヒーロー面をしているのかを。

そしてアタシは、そんな奴らに言ってやるのだ。

アタシの妹は、アンタ達の戦争ごっこに巻き込まれて犠牲になったんだ。
アンタ達は、正義のヒーローなんかじゃない。
少女一人、守れてなど居ない。

そう、言ってやるのだと、心を決めていた。


しかし、いざ入ってみた空軍で、アタシは自分の卑しさと浅はかさに落胆する羽目になったのだった。

そこで働く奴らは、誰ひとりヒーロー面なんてしていなくて。

それどころか、アタシの妹を巻き添えにしたあの墜落事故で、あの機体を撃ち落としたその人物が、その後に殉職していた事を知った。

その人はアタシの家にも何度か足を運んでいたのだが、両親が門前払いしていたお陰で顔も知らない。
聞けば、あの事故を随分気に病んでいたようだった。

そして、シエルに現れたフレアの撃墜命令を負った任務。
海上から街に目掛けて一直線に攻撃を仕掛けようとしていた敵機に機体ごと突っ込み、殉職したのだと言う。

彼が最後に無線で残した叫びは、奇跡的に海の底から引き上げられた機体のブラックボックスに残されていた。
ざあざあと耳障りなノイズが入るなか、緊迫した状況が音声だけで伝えられる。
そして、僅かな爆発音と共にレコーダーが途切れるその瞬間、彼の最後の言葉を聞いた。

『あの時と同じような事は起こさせない!二度とだ!!』


アタシの想いの全ては、自分を虐げて、相手を悪に仕立てあげた、都合の良い言い訳だったのだ。

そんな事は、解っていたはずだったのに。

――けれど、そうでもしないと。




ふとした瞬間に、自責の念が襲ってくる。

人は、どうしてこうも感情に左右される。

そうして今、アサヒ・サイソウに苛立ちを隠しきれないでいる自分も、実に愚かである。

「……ったく……」

滅多に吐かないため息を一つ。
重苦しい気持ちを詰め込んだその吐息は、どろりと宙に絡みつくように見えた。

「イーツキさんっ!」

再びカルテに向き直った時、いつの間にか開けられていたドアの隙間から、小さな顔がひょこりと飛び出した。

「ワコじゃないか。どうしたんだい?また食べ過ぎた?」

「えへへ、バレましたぁ?」

ほんの一瞬前の重い空気が、嘘のように軽くなる。
ワコ・シンラは、アタシの淀んだ心をいつでも明るく変えてくれるのだ。

「いつも言ってるだろう?美味しいからって欲張り過ぎるんじゃないよって」

「ついつい食べ過ぎちゃうんですよねぇ」

頬を掻いて、えへへ、と可愛らしく笑ってみせる。
この、少女のような純真さを持った彼女が、少し前までこの国のエースパイロットだったなんて、誰が思うだろうか。

彼女は今、空を降りている。

フレアを引き連れてシエルを襲った黒い機体。
通称クロウとのドッグファイトで、彼女は瀕死の状態に陥り、ついには機体を降ろされた。

それでも彼女は、いつも笑っている。
飛び立つ機体を、戻ってきた機体を誘導しながら、いつでも楽しそうに笑っているのだ。

本当は、飛びたいのだろうに。


アタシがアサヒ・サイソウに苛立つのは、彼女が大きな要因の一つであった。

守る、守ると言いながら、結局ワコを守り切れなかった。彼の経歴が記されたファイルを盗み見た時、納得がいった。
彼は、幼いころに亡くした大切なものを、彼女に重ねているのだ。

それが、妙に腹立たしかった。

――この子に傷ついてほしくないと思うのは、アタシも同じなのに。

アンタは、あの空を一緒に飛んでいたんだろう。
守る、と大口を叩いて。

自分のエゴをこの子に重ねている事は気にくわないが、そうであるならば、最後まで守り通せ。
自分が犠牲になってでも、守り通す男も居た。

アンタは言っていただろう。

守りたい、ではなく、守るんだ、と。

それなのに、どうして。


「今日の夜と、明日の朝。飲んだらすぐに良くなるよ」

いつもの薬を二錠、小さな手の平に握らせる。
そうしてワコは、やっぱり嬉しそうに笑う。

「ありがとうございます!あ、そうだ、ちょっと待ってて下さいね!」

薬を胸のポケットに仕舞いこむと、ワコは何か思い出したようにぱたぱたと医務室から出て行ってしまう。
一体何事かとしばらく待っていると、片手を後ろ手にして戻って来た。

「何なんだい、一体」

困ったように聞いてみると、ワコの顔ににこりと花が咲く。

「はいっ!これ、あげます!」

差し出されたのは、一輪の向日葵。
綺麗に咲いた、大きな向日葵だった。

「これ、……っ」

思わず、言葉が詰まる。

「格納庫の裏にね、咲いてるんですよ。すんごい綺麗だったから、ここの差し色になるかなーって」

にこにことして、まるで褒めて欲しい犬のようにそわそわしながらワコが言う。
何も言えずにいるアタシの様子を少しだけ窺ってから、より一層の笑顔を浮かべた。

「お誕生日、おめでとうございます!イツキさん!」

「はは……、ありがとう。ワコ」

何も知らないワコの笑顔に、妙に胸が熱くなる。

調度デスクの上に置きっぱなしにされていた空のフラスコに水を入れ、茎を少しだけ折って向日葵を飾った。

「ああ、やっぱり。イツキさんは、やっぱり黄色が似合いますね」

飾られた向日葵を満足そうに見つめながら、ワコはにんまりと笑っていた。
まるで、この向日葵のような笑顔。

この花が似合うのは、アンタの方だよ、と言いかけて。

「じゃあ、あたし戻りますね!あっ!薬、ありがとうございましたっ!」

最後まで残された笑顔が、扉の向こうに消える。

それはまるで、あの日の再現のようで。
妹が何事もなく無事に帰ってきていたら、もしかしたら、あんな笑顔をアタシに向けてくれていたのかも知れない。

あの子も、この花がよく似合っていた。
アタシの誕生日には、毎年毎年、向日葵を摘んで持ってきてくれた。

「お姉ちゃんには、きいろが似合うよ」

妹の声が、今しがたのワコの声と重なった。

そんな気がして、自嘲が漏れる。


「……亡霊を重ねているのは、アタシも同じか」



デスクの上の向日葵は、何処までも綺麗に、白い世界に凛と佇んでいた。




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