あまいいちご

□*11ヶ月*
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日が暮れるのが、早くなって来た。



オレンジ色の柔らかな世界は、俺の目の前、あっという間に藍色に浸食されていく。


少し前を歩く、井上の後ろ姿。



  溶けていく、輪郭。






一年たっても、言えないことがある。

聞けないことがある。



この世界から、一度、井上は消えた。






右の手首が鈍く痛んだ気がして、思わず見下ろす。

傷一つないのを確認した後、あの朝のように額に当ててみる。



一年たっても、伝えてないこと、

俺にも、ある。


あるんだ、井上。





井上が消えた後、
治してくれた右手の霊圧を、
何度も、何度も、必死で探ったこと。


誰が何て言おうと、
生きてるって思えたこと。



一人でも、取り戻しに行くって決めたこと。



目が覚めた瞬間、井上がいて、思わずほっとしちまったこと。

無茶なこと言って心配させちまったけど、信じて欲しかったこと。



あの姿を、見せたくなかったこと。


怖がられたくなかったこと。

怖がらせたくなかったこと。



「ケガしないで」って願ってくれて、
すっげえ嬉しかったこと。



腕の中の井上が、肩先に温かくて、
全然重たくなんて、感じなかったこと。





いつからかは、ちゃんと分かんねえけど、

きっと、去年の今頃には、


  井上を、好きになってたこと。





「・・・今更、か」

「えっ?」

「なんでもねえ」



半歩前に出て、並べる肩。

夜に溶ける輪郭を、腕の中に捕える。



「あったけえ・・・」

「黒崎くん?」



一年前は知らなかった、体温も、

井上という存在の輪郭の全ても、


今の俺は、知ってる。

この腕の中、確かめられる。





何度、膝をついても、

どんな絶望の中でも、

この心臓が抉られても、

この目が見開いたまま
世界を映すことをやめても、



聞こえた。

聞こえたんだ。


井上の、声。


俺を呼んで、くれただろ?





「井上が、好きだった」

「え?」

「ずっと、ずっと、好きだった」





音を拾うことをやめたはずの鼓膜を

震わせる、慟哭。



見開いたままの目に映る

床を打つ、涙。



抉られたはずの胸が、

かきむしられるほどに。



応えたいと、ただ



   ただ、願った。





「・・・ずっと好きだったんだ、井上」



声に出してしまえば呆気ないほどに
夕闇に、喧騒に溶けていく、この思い。


でもそれが、繋いでくれたんだと、思う。



「・・・あ、あの、ね?」

「うん?」

「でもね、多分、それよりずっとずっと前からね」



腕の中の井上が、俺に向き直る。

そして照れたように笑いながら、俺を抱きしめる。



それは、まるで。



「あたしの方がきっと、先に、

 黒崎くんを、好きだった、よ?」



夕闇に溶ける俺の輪郭を、

冬の空気ごと、包みこむみたいで。


この世界と俺を、繋いでいるみたいに、思えた。







あれから、一年。


失ったものもあって、

手に入れたものもあって、

それは、必ずしもこんな風に

抱きしめたりできるものじゃねえけど。





輪郭を、なぞるように確かめて、

温もりと香りに、ほっと息をついて。


去年の今頃は歩いていない道を、井上と歩けるだけで、いい。

今は、それでいいんだ。



言いたいことも聞きたいことも、

いつか言えばいい。

聞けばいい。


これからもこんな帰り道は続くんだから。




「・・・っだ、大告白大会ですな!」

「・・・そういうんじゃねえだろ・・・」

「えへへへー、でも急に開催されるとびっくりしちゃうので、次回は予告してくれたらね、嬉しいなーなんて」

「ハイハイ・・・つーか、意外に負けず嫌いなのな?」

「ええっ?だってね、だって、片思い歴が長いのは絶対あたしでしょ?」

「ほらな、負けず嫌い」

「ええーっ?」





11月の夜空に、

俺が笑いながら吐いた息が、白く溶けていくのを、

腕の中、井上が笑って指差すから。



その冷えた指先を、

捕まえて、繋いで、引っ張って歩きだす、



始まったばかりの、

冬の、帰り道。







2012.2.29

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