同人

□寂しいよ
1ページ/4ページ


薄紅の桜が咲き乱れた校庭は、記念写真を撮る卒業生と在校生で賑わっている。
涙する者や誇らしげに笑う者達。
皆が皆、何とも言えない感動に胸をふるわせていた。
その光景を、佐助は窓側の席で頬杖をつきながら見下ろしている。

(青春だねぇ〜…)

黒板にでかでかと『卒業おめでとう!!』と書かれた教室には、佐助以外に誰も居ない。
卒業式が終わって直ぐは感涙する生徒で溢れていたが、時間が経つにつれて皆それぞれの送別会に向かって行った。
かく言う佐助も馬鹿騒ぎする予定があったのだが、とある理由ですっぽかした。
佐助は今、人を待っている。

(来るか分かんないけどね…)

むしろ、来ない確率の方が高い。
佐助は組んだ腕に、顔を埋めた。
授業中だったら完璧に寝る体勢。
面と向かって、はっきり来てほしいと伝えた訳じゃない。
我ながら分かりにくい意思表示だった。
ただ、気が付いたら行動に移してしていた、そんな感じだ。
聡い人だから、多分分かってくれていると思う。
しかし。

「…来るかな…?」

あの人にも送別会の予定があった筈。
来なければ困るようにしたけれど、自分より他人を優先する人だから、果して約束を破ってまで俺の所に来てくれるだろうか。
それが、すごく不安だ。

「はぁ…」

佐助は溜息ひとつでその不安をやり過ごし、淡い期待に賭けてみる。
佐助は目を瞑り、外のざわめきに耳を傾けた。
弾んだ声や別れを惜しむ悲しげな声、シャッター音と、春風の音。
暫くそうして、外の賑わいも少なくなってきた頃。
廊下から荒々しい足音がして、佐助はのろのろと顔を上げた。
どすどすという足音が教室の前で止まったかと思うと、教室の戸が壊れそうな勢いでガラッと開かれる。
そこに立っていた人物を見て佐助はへらりと破顔した。

「よっ、遅かったねぇ片倉の旦那」
「猿飛、てめぇ…!」

小十郎はぜぇぜぇと肩で息をしながら顎を伝った汗を拭い、ギロリと佐助を睨んだ。
随分走ったのだろう。
きれいに撫で付けられていた前髪が乱れ、幾房か少し前に落ちている。
学ランも脱いで小脇に抱え、シャツの袖も捲っていた。
小十郎は目が笑ってない凄みのある笑みを浮かべて佐助に詰め寄った。

「いつもみてぇに変な所に隠れてるかと思えばこんな分かりやすい所に居やがって…俺の苦労を返しやがれ!」
「やだなぁ、そんなの片倉の旦那の読みが甘かっただけでしょ?灯台下暗し、ってね」

全く悪びれた様子も無く、佐助はひらひらと手を振って笑った。
小十郎はぐぬぬと怒りを堪え、しかし諦めたように脱力した。
溜息をつきながら、骨張った大きな手で乱れた前髪を掻き上げる。

「……もういい。…俺の荷物はどこやった?」
「あるよ、ここに。はい」

佐助は机の脇に引っ掛けていた小十郎の鞄を持ち主に差し出す。
あっさりしたその様子に小十郎は少し拍子抜けした。

「えらく呆気なく返してくれるじゃねぇか…何か仕込んだのか?」

訝しむ小十郎に佐助は「まさか」と苦笑した。

「こんなめでたい日にそんな事するほど陰険じゃないって。大丈夫、何もしてないよ。財布の中身も無事だから安心して?」

小十郎は少しの間佐助をじっと見詰めたかと思うと、「…そうか」と静かに呟いて鞄を近くの机に置いた。
今度は佐助が少し目を丸くする。

「中身確認しないの?」
「嘘なのか?」
「いや、違うけど…」
「じゃあいいだろ」

何の問題がある?と問われて、佐助は答えに窮した。
うたぐり深い性分のせいか、こんな風にあっさり信じられるとそわそわしてしまう。
小十郎が椅子ではなく、佐助が座っている席の斜め前の机に腰掛けた。

「…で?」

逞しい肩越しに、鋭く静かな瞳がこちらに向けられる。

「結局てめぇは何がしたかったんだ?猿飛」

二人の間を、春の暖かい風が吹き抜ける。
開け放たれた窓から、桜の花びらが数枚舞い込んで来た。

「俺は…」

一度言葉を切った佐助は、ふっと苦笑した。

「…何がしたかったんだろ?多分、あんたと話したかったんじゃない?」

曖昧な返答に小十郎が呆れ顔になる。
何だそりゃ、と低い声が言った。

「そんな事の為にわざわざ引ったくり紛いな事したっつーのか?」
「まぁねー。だってそんくらいしないと、こんな風に二人で話せないじゃん」

はた迷惑な、と自分でも思う。
でも、そうだ。
佐助はこうして、小十郎と二人で過ごしたかったのだ。
佐助はこてんと机に頭を預けた。
背中に降り注ぐ柔らかい陽射しがとても暖かくて、眠たくなる。

「片倉の旦那はいつもこの席で授業受けてたんだよね?眠たくなんなかったの?」
「時々なったな。だが居眠りなんざした事ねぇぞ」
「マジで?俺様無理」
「…根性無ぇな」
「ご尤も」
「…つうかてめぇは本当に何がしてぇんだ」
「言ったでしょ?あんたとゆっくり話がしたかったんだよ。あと、あんたが見てた景色が見たいと思って」

此処に居たんだ、と佐助がはにかむように笑う。
ガガガ、と椅子の足が床を擦る音が響いた。
佐助は席から立ち窓枠に腰掛け直すと、床に散った花びらに視線を落としながらぽつりと口を開いた。

「そういや、まだちゃんと言ってなかったよね…」

小十郎に視線を合わせて、佐助は微笑む。
明るい笑顔になるよう、努めた。

「卒業おめでとう、片倉先輩」

ざぁ…と僅かに強い風が吹いて佐助の明るい髪を揺らした。
小十郎が眩しいものを見るように目を細める。

「先輩、か…。てめぇには初めてそう呼ばれたな」
「そう?まぁ最後くらいは敬意を表してそう呼ぼうかな〜ってね。でも本当に初めてだっけ?初対面の頃は流石に先輩って呼んでた気がするんだけど」

初めて会ったのは……そう、真田の旦那に伊達ちゃんを紹介された時。
伊達ちゃんの後ろに控えるように立っていたのが片倉の旦那で、第一印象は『いかついなー』だった。
でも何だかんだで親しくなって、結構一緒に遊んだりしたな。
いつもの面子で馬鹿騒ぎしたり。
校内でばったり会ったりした時、他愛もない話をするのも好きだったな。

なんて、考えてたら。

「……あれ?」

ぽたり。と、雫が落ちた。
どこから?

「えっ…嘘だろ?え…?」
「猿飛…」

小十郎が驚きをその顔に滲ませる。
その視線から逃れたくて、佐助は窓枠から下りて小十郎にばっと背を向けた。
口元を手で覆う。
その手にも次から次へと涙が滑り落ちてきて混乱した。

何で?何で泣いてんの俺様。
そりゃちょっと感傷的になってたけど、まさか、こんな…。

「猿飛」
「っ…来ないで、よ」

足音が近付いて来る。
恥ずかしくて、見られたくなくて、佐助はよろよろとその場から逃げようとした。
しかし、大きな手がそれを阻んだ。
後ろから伸びてきた左手に目元を覆われて引き寄せられ、逞しい身体に寄り掛からせられた。
抱きしめられているのとは、ちょっと違う。
けれど何だか安心できて、身体から力が抜けてしまった。

「はぁ…ったくてめぇは…」

耳元で、呆れたような小十郎の低い声が静かに響く。

「普段はしっかりしてるくせに、時々手を焼かせやがる…」

ふ…と、苦笑の気配がした。
低く掠れた声音が、子供をあやすような優しさを孕む。

「こんな時ぐれぇ我慢すんな。言いてぇ事があるんだろ?全部吐き出せ、そっくりそのまま受け止めてやる」
「っ…!」

その言葉に、佐助の涙腺が決壊した。
涙と共に、抑えようとしていた感情がとめどなく込み上げる。
もう、ダメだった。
我慢なんて、出来なかった。

「…さみ、し…い…」

寂しい…寂しいよ片倉の旦那。
あんたが居なくなるなんて嫌だ。
当たり前だったんだ、あんたに会えるのが。
会いたい時に会える日常が、こんなにも大切だったんだ。
でもそれも、もう日常じゃなくなる。
変わってしまう。

「…怖い、よ…」

怖いんだ。
あんたに会える日常が日常でなくなってしまうのが。
築いてきた関係がそう簡単に変わるとは思わないが、やはり何かが変わってしまう気がする。
いつか、あんたに会えなくなるのが当たり前になる日が来る。
それが嫌だ。
寂しい、寂しい。
時間なんて止まればいい。
離れたくない。
寂しい。
一緒に、居たい。

駄々をこねる子供のように、佐助はそれを繰り返す。
頭ではみっともないと分かっているのに、止められなかった。
本当は笑って見送ろうと思っていたのに。
正直、実感出来ていなかったのだ。
でも卒業式が終わった後、涙を見せた事の無い小十郎が皆に囲まれて涙ぐんでいるのを見て、急に現実を思い知った。
本当に、最後なのだと。
気が付けば佐助は、小十郎の荷物を引ったくって逃げていた。
足止めをしたかったのだ。
彼を少しでも、学校に引き止めていたかった。
ああ、なんて、幼稚。

「ごめ…っ……ごめ、ん…」

しゃっくりと嗚咽で、もうまともに喋れない。
完全に喋れなくなる前にせめて謝らなければと必死に言葉を紡いだ時、暗かった視界が明けて眦に温かいものが触れた。
熱い舌先が零れた雫を掬い溜まった涙を攫っていく。
驚いて目を見開き、佐助は自身が泣き顔だった事も忘れて小十郎を見た。
鼻先が触れ合いそうな至近距離で、慈愛に満ちた鋭い双眸に見詰められていた。
心臓がドクリと波打ち、呼吸を忘れる。
小十郎は佐助の肩を掴んで向き直させると、正面からその細身の肢体を抱きしめた。
明るい髪を持つ頭を胸板に押し付け、愛おしげに撫でてその柔らかさを堪能する。

「か、片倉の旦那…」

佐助の声は泣いたせいで震えている。
小十郎は少し屈んで赤く色付いた耳に唇を寄せ、苦笑混じりに囁いた。

「器用そうに見えて、とんだ不器用だなてめぇは」

佐助の肩が、小さく跳ねる。
寂しい、と、漸く本音を吐露した佐助。
誰もがギョッとする事は平気で口にするくせに、そういう真っ直ぐな言葉を憚るとはおかしな奴だ。
こいつの事だ、多分困らせるだとかうだうだ考えたに違いない。
そういう面倒臭いところがあり、時々ものすごく手が掛かる。
そのほっとけない危うさが、小十郎は愛しくて堪らないのだ。
焼きが回ったな、と自嘲する。

「寂しいなら会いに来い。いつでも良い。俺も会いに来る。……てめぇだけが、寂しがってると思うな」

別れが惜しいのは、小十郎とて同じだ。
去る者と残る者、辛いのはどちらか。
多分、それほど差は無いのだ。
その胸を襲う喪失感と悲哀は、きっと等しい。
佐助は顔を上げ小十郎を見上げた。
渋さ漂う顔容に浮かべられた微苦笑は、見ているこっちが切なくなるほど寂しげで。
ああ、同じ気持ちなのか。と佐助は思った。

「小十、郎、さ…」

気が付けば、いつもとは違う呼び方が口をついていた。
小十郎が目を細め、首を傾けて顔を近付けてくる。

「佐助…」

艶のある低く掠れた声で名前を呼ばれて、脳髄が甘く痺れた。
胸が熱い。
頭を撫でていた小十郎の手がいつの間にかうなじに下りており、引き寄せられた。

「あ…」

零れた声すら飲み込むように、小十郎の唇が自分のそれに重ねられていた。
触れ合う唇から小十郎の体温がありありと伝わって来て、佐助はぎゅっと目を閉じる。
無意識に小十郎のシャツをくしゃりと握っていた。
熱い。
羞恥で耳が、顔が、全身が熱くて、溶けてしまいそうだ。
触れているだけのキスなのに、息苦しくなる。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ