懸想の三蔵
□美月様へ/鯉若
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それは、ごくありきたりな光景である。
奴良組に於いて、なかんずくも人の口に聞く先代に於いても然るべく、その光景は風景と伍するに相も違えない。
そう思うのは、護身兼側近たる自分だけではない筈だ、首無は思う。
主人に対する憧憬や羨望こそあれ、時に主の人格を疑うことだにあるのである。
夜行の際とは変貌を遂げる主に、甚だ無い首を傾げるより他に無い。
「あの、鯉伴さん?」
「何だ?」
「そろそろ離れてくれないと、怒りますよ?」
「んー、無理。」
駄々をこねる嬰児さながら、魑魅魍魎の主はやはり豹変する。
それもこれも、この御寮人が所以である。
「あらあら、困っちゃいましたねぇ。」
そう言いながら、洗濯物を畳む手を止めない御寮人は薄らでも愛でるような笑みを浮かべ、己が膝元に仰臥する夫の頬をやんわりと抓った。
それでも主人は嬉しそうで、猫のように欠伸を一つ。
随身でなければ、早々にお暇を頂戴したいものである。
「もう少ししたら終わりますから、それまで待っていて下さいね。」
「ん。」
まどろみに負け、今にも華胥の国に遊ばんとする主は、また一つ、欠伸をする。
と、軽快な足音が、庇に控える首無の耳に入る。
この屋敷で、主の曹司に斯様に騒々しく踏み入ることを許される者は、唯の一人だけである。
「お父さん、お母さん!」
「あらあら、リクオ。どうしたの?」
勢い良く母の腕に抱きついたリクオは、眠りに就きかけている父に気づいて、気を遣いながら謐々として口を開いた。
「あのね、お外がすごく良い天気だったの。お父さんとお母さんも、一緒にお外で遊ぼう!」
「そうねぇ。リクオは元気だものね。……ですってよ、お父さん。」
ぺちぺちと頬を叩いてやると、鯉伴はまだ寝ぼけ眼で二人の顔を見上げた。
「……ん?」
「リクオが、一緒にお外で遊びましょうって。」
「お父さん、疲れてる?」
父を労わる息子は、首無からしてみれば失礼ながら、主の子とは思えないほど律儀である。
鯉伴は大きく伸びをした後、ゆっくりと起き上がる。
それから、寝違えたらしい首を二、三度ぐるりと回す。
「おいで。」
「うん!」
父に促されたリクオは、溌剌として抱きつく。
「リクオは、どこへ行きたい?」
「お父さん、一緒に遊んでくれるの?」
「ああ。」
「ありがとう!!」
父に似た顔に嬉しそうに微笑む相好は、母に似ていると思う。
思わず破顔した首無を、リクオは徐に振り返った。
「首無ぃー!!」
父の腕から逃れ、覚束ない足取りで走り寄って来る若君を、慌てて抱え上げる。
「首無も、一緒に行こっ」
「若?」
「一緒に行こ!」
にこにこと嬉しそうなリクオが、くいくいと髪を引っ張ってくる。
逡巡して、主の顔を見ると、鞍替えされたその人は苦笑していた。
「望みの通りにしてやれ。」
「ですが……」
主夫妻とその御曹司の憩いの場に、臣たる自分が与するのはよろしいものだろうか。
「首無さん。その子の願いを聞いてあげて貰えませんか? その子、首無さんをお兄さんみたいに思ってるみたいだから。」
「え?」
腕の中でご満悦気味の若君は、照れくさそうだった。
一介の配下にしか過ぎない自分が慕われていることが、素直に嬉しかった。
「若。」
頭をふわりと撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めた。
「一緒に、遊びましょうか。」
「うん!」