懸想の三蔵
□溢れ出した想い
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一番じゃなくてもいい。
あの人に、少しでも必要とされるような、そんな存在になりたい。
この懸想が届かずとも、それでいい。
あの人が幸せなら、私に笑顔をくれるなら、それでいい。
だから、“特別”になりたいわけではなかった。
でも、そうではなかった。
妹分、と言われた時。
嬉しかったのに、素直に喜べなかった。
そんな言葉が欲しいんじゃない。
我侭だってわかってはいるけれど、自分が欲しいのは、そんな優しい言葉じゃない。
人質のくせに、何て浅ましい。
嘲笑が零れそうになるけれど、うまく相好が動かない。
凍りついたように、笑えない。
きっと今だけは、誰に声をかけられても、偽りしか口に出来ないだろう。
どうして、こんな自分になってしまったのだろう。
こんな自分が嫌いで、疎ましくて仕方がなかった。
何となく部屋に戻って塞ぎこむのが嫌で、中庭に出た。
簀子に浅く腰を下ろし、裸足で地の冷たさを感じた。
何をするでもなく、いつの間にか出ていた月明かりに照らされていた。
現し世から離れたところにあるというこの光だけは、今の貪欲な自分を洗い流して、赦してくれるような気がして。
膝を抱えて、蹲っていた。
「おい、誰だ?」
声を掛けられたのが自分だとわかるまで、暫くの時間を要した。
千鶴がゆっくりと顔を上げると、二人の隊士がこちらを見ていた。
誰の隊の人かはわからないけれど、日頃からあまり良い印象がない人達だった。
女であることがばれては大変だ。
早く離れなければと思うのに、首を傾げるだけで、千鶴の四肢は動かない。
「なんだ、あんたか。」
「こんな遅くに、どうしたんだ?」
「あ……ちょっと、眠れなくて。風に当たろうと思って。」
「ふん。そんな暇があれば、稽古の一つでもすれば良いものを。」
悪態を吐かれても、動じない。
彼らは、副長の小姓という肩書きを持ち、一人部屋を許された上に戦陣には呼ばれぬ隊士“雪村”を嫌悪している。
だから、仕方がないことだと受け入れるより他ない。
無言でいれば、彼らは飽きたらしく、さっさと足音を立てだした。
「ああ、そうだ。」
それが、ぴたりと止まる。
「あんたに、訊きたいことがあったんだ。」
「何ですか?」
「副長が否と言うから口にはしないが、噂でな。」
「あんたの顔も、そのほっそい体躯も。どう見ても、女だってな。」
ぴくり、と千鶴の肩が動いた。
「お。図星かい?」
初めて、危険を感じた。
けれど、そう思った時にはもう遅い。
「なあ。どうなんだ?」
隊士の手が伸びて、千鶴の細い肩を掴もうとする。
それを拒むだけの膂力は、彼女になかった。
「何してんだ?」
声がして、隊士の手がさっと引き戻る。
足音が近づいて来て、三人はその方を見やる。
すると、暗がりの下で、うっすらとその人の相貌が露わになる。
「永倉、組長…。」
「よう。遅くまでのお勤めご苦労。」
「はっ。恐れ入りまする…。」
「おう。さっさと部屋、戻んな。おまえら、明日は巡廻番なんだろ?」
「はい…。失礼します。」
さくさくと言葉を返す永倉に、二人の隊士は何も口にできなかった。
膝を抱えて固まっている千鶴の方を見やって軽く睥睨してから、さっさとその場を離れて行った。
その足音が完全に絶えてから、永倉は千鶴の傍らに膝をついた。
「大丈夫か?」
「は、はい…。」
「そりゃあ良かった。追いかけて来て本当に良かったぜ。」
ふうと嘆息を吐く彼を、千鶴は恐る恐る見上げた。
目は極力合わせずに。
「あの、どうして……?」
「平助がよ、千鶴ちゃんが機嫌悪くしたのは俺のせいだって喚くからよ、あんまりにうるさいんで、左之や土方さんに追い出されて来たんだ。」
からりと笑って話す彼に、千鶴の胸はちくりと痛んだ。
「もう遅いんだ。用心してないといけねぇだろ?」
「はい。ごめん、なさい。」
「ん。ま、何事もなくて良かったよ。」
そう言って、また優しく、頭を撫でてくれる。
それが心地良くて、余計に泣きたくなった。
「千鶴ちゃん?」
「……はい?」
「俺、何かしたか?」
視線を合わせると、初めて彼が不安そうにしているのがわかった。
そして、自らの目元が潤んでいることも。
「あ……」
「やっぱ、平助の言うとおり、俺が何かしたのか? いや、俺な、女の子の気持ちっててんでわかんないからよ。悪気はなくてだな……、」
「違うんです。」
「え?」
動揺する彼を見ていられなくて、千鶴は否定したと同時に、遂に俯いてしまう。
そうしたら、雫が一つ、頬を伝って、落ちていった。
当然、彼もそれを気づいたわけで。
溢れ出した涙を、止めることは出来なかった。
言っては駄目。
口にしては、止まらなくなる。
だって、私は人質だから。
いつ殺されるかも知れない、人質だから。
そして彼は、大志の為に命を賭ける人。
きっと、不安も多いだろう。
けれどそれを慰められるのは、私じゃない。
そう思ったら、もう涙が止まらなかった。
いつも、守ってくれるのはこの人で。
さっきだけじゃない。
沖田さんにからかわれている時も、雑用でへまをした時も。
困っている時、いつも優しい目で、手で、安心をくれたのは。
目の前で瞳を不安に揺れさせている、この人だった。
そんな顔、しないで。
私が、この気持ちを抑えて我慢すればいいだけ。
そうしたら、回天のため奔走する彼に重荷を背負わせることはない。
伝えるつもりはない。
自分だけ、知っていれば良かった。
それなのに、どうしてだろう。
伝えたくない、筈なのに。
「ながくら、さん…。」
「ん? どうしたよ。」
ほら、そうやって、また優しい声で。
私を安心させるから。
「私、永倉さんが――…」