懸想の三蔵

□溢れ出した想い
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決して、口に出来るわけではないけれど。


もし、今もあなたの心の奥底の、そのどこかに、かすかでも私が残っているのなら。

どうか、今度は伝えさせて欲しい。


言えなくて、悔恨に埋めようとしていた、この想いを。

今でもまだ、遅くはないと。


そう言って、あなたにただ、笑っていて欲しい。































いつからだったのか。

今となっては、その境界なんてわからない。


けれど私があの人の姿を視界の端にいつも留めて、追いかけていたのは、決して短い間ではなかった。

まだ戦渦の生じる前の話。


新選組が、まだ元気だった頃。

人質である私が、浅ましくも淡い恋を抱いたのが、その人でした。










「……千鶴?」

「――…へ?」


身を乗り出して視界に入って来た彼を、慌てて認知する。

藤堂平助なるその人は、怪訝そうに首を傾げていた。


「おまえ、具合でも悪いのか?」

「どうして?」

「だって、さっきから溜息ばっかりでよ。何かあったのか?」


毎晩が宴とも戦とも言える、遅い夕餉。


今日は格別、皆の酒量が多い。

それは先日、会津様より俸禄を下賜されたから。


こんなご時世の、しかも危険なお役職だから。

新選組隊士の懐というものは、緩いものなのだ。


大抵は、祇園や島原での遊興か、酒に消える。

今夜が特にそうで、若い男達は酩酊の者が多い。


珍しく素面の彼は、心配そうに千鶴の顔色を窺う。


「大丈夫かよ。気分が悪いなら、俺、部屋まで送るぜ。」

「ううん。大丈夫。ありがとう。」

「ならいいけどさ。なんつーか、今日の千鶴、ぼうっとしすぎなんだよな。」

「そんなことないよ。元気そのものだよ。」


千鶴は微笑んで否定するけれど、彼にはどうにもそれが無理しているようにしか見えなかった。

先程から、ぼんやりとした彼女の視線の先を窺っていたのだが、やはり彼女の憂鬱の所以というのは。


「もしかして、左之さんとしんぱっつぁん?」

「えっ?」


思わず正気に返った様子の彼女を見て、確信した。

やはり、あいつらか。


にんまりと興味津々になった平助が、すすっと進み出て俯く千鶴へと居座り寄る。


「左之さんもてるぜー。島原行きゃ、姉ちゃん達が原田さん原田さんって。別嬪に好かれてやんの。」

「でしょうね。原田さん、もてそうだから。」

「ほほう。」


特に動揺はないようである。

ないとは思うが、試しに一応、言ってみるとしようか。


「しんぱっつぁん。口下手で何にも取り得ないけど、あれで一部の芸者さん達にゃもててるんだぜ?」

「えっ…」


がばりと顔を上げて、彼女は心配そうに柳眉を顰める。

……おいおい、まぶかよ。


「……千鶴。」

「うん?」


ちらと辺りに視線を巡らせる。


手酌の斎藤と、ほんのりと赤くなり語らう試衛館連中。

そして、いつものように立ち上がってけたたましく咆え散らす原田と永倉。


それらの誰にも聞かれぬよう、そっと彼女に耳打ちする。


「もしかして千鶴、しんぱっつぁんが好きなの?」


ずるっがたがたがた。

次いで、べっちという、何とも形容しがたい音が響いた。

当然、広間は水を打ったように静まり返る。


「や、やだな、平助君ったら。ちょっと、大丈夫?」


要するに、こうだ。


動揺した千鶴がどうしたわけか膝を滑らせ、幸い完食していたものの、思い切り目の前の食膳に突っ込んだ。

さらに慌てた拍子に腕を大きく振ってしまい、それが平助の右目を強打。

そして、この静寂である。


千鶴の顔は、それはもう真っ赤なのである。


「ごめん、ごめんね!平助君。」

「いや大丈夫、大丈夫だから。」

「どうしよう…。目、ちゃんと見える?」

「見えるから、とりあえず落ち着けって。」


あたふたと行動がいかにも不審な千鶴と、どうにも怪しい平助。

これを見た周りが黙っておく筈がない。


「何?平助君達、ずいぶんと仲がいいみたいだね。」

「あ、いや違うって!」


右目を押さえた平助が、早速揶揄を飛ばしてきた沖田を何とか抑制しようとする。

この場にいるのが、雪村千鶴の素性を知る一同だけで良かったと、心から思った。


が、相手はやはり、あの沖田総司。

そう簡単に、黙ってはくれなかった。


「もしかして、もうそんな仲になっちゃったの?」

「そんなってどんな仲だよっ!?」

「ここで言ってもいいの?」

「いやどんな仲を想像してんだよ!……あーもうほら!千鶴が怯えてんじゃねぇか。」


正確には、まだ思慕する相手を当てられたことを引きずって赤面しているわけだが。

そしてここで、今平助が一番いらん言葉を口にしそうな人が、遂に口を開いた。


「何だよ、平助。そうならそうって言ってくれりゃあ応援したのによお。」

「そうだぜ、平助?千鶴も水臭いじゃねぇか。」


ほんのりと酒の入った相好を崩し豪快に笑った永倉と原田を見て、平助が苦い顔をした。

願い虚しく、極め付けがこの一言だ。


「まっ、平助なら俺の可愛い妹分の千鶴ちゃんを任せてやってもいいかな。」


……こいつ、言いやがった。

内心で何度も地団駄を踏んだ平助が、何度も頷き満足げにする永倉を置いて、平助はそろそろと視線を千鶴の方へと送った。


「……千鶴、大丈夫か?」

「平助君。」

「はっ、はい?」


勢い良く顔を上げた千鶴は、清々しいほどの笑みを浮かべていた。


「私やっぱり、部屋に戻ってるね。」

「へ?あ、……おう。」

「それじゃあ、失礼します。」


お騒がせしてすみませんでしたと律儀に一礼して、彼女は早々と出て行った。

最後に見た横顔が、今にも泣きそうなほどに歪んでいたのを、平助は確かに見た。

だから、彼女が去るや否や、永倉のもとへと向かった。


「ん?どうした、平助。」


きょとんと首を傾げる彼が、やけに腹立たしかった。

そして平助は、腹の底から息を吸った。








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