懸想の三蔵
□椎名様へ寄贈
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彼女はいつも、無理をする。
まだ幼いのに、それこそ強情に。
この家が娑婆ではないゆえに尚更、迷惑をかけまいとする。
それこそ、まだ年端もいかぬこの娘というものは。
きちんと務めをこなし、音を一度だってあげたりしない。
過労で倒れてしまうのではと周囲で心配する者も多くあるが、そういった心配に直面するたびに、彼女は余計に強情になる。
自分に出来ることを、背伸びしてでもこなそうとする。
一生懸命、彼女なりに、夫やその一派に尽くそうとしている。
秋も過ぎ、師走を直前としたその頃、紅葉も落ち、すっかり冬の色に一面は変わりつつある。
若菜は打掛を羽織っただけの簡素な出で立ちで、襷で袖を縛り、毎日広い屋敷のありとあらゆる雑用をこなす。
本来ならば下々の雑鬼達がするような家事も、奥方しかも北の方である若菜は自ら買って出る。
その日も、彼女は朝からよく働いていた。
井戸で水を汲んでいた若菜は、一つに束ねた髪を跳ねさせ、後ろを振り返った。
そして、ふわりと微笑み、一礼した。
「おはよう御座います。鯉伴さん。」
「おはようさん。今日もえらく早いねえ。」
「何かやってないと、落ち着かない性分みたいなんです。」
そう言って、けろりと笑ってみせる。
鯉伴は欠伸をかみ殺しつつ、苦笑した。
最近、彼女がろくに寝ていないことは知っている。
特に冬場だというのに、若菜という人は休むことを知らぬようで。
いくら鯉伴が言っても、朝早くから夜遅くまで、あくせくと働きまわっている。
「鯉伴さんも、昨夜はお疲れ様でした。お仕事だったんでしょう?」
「ん。まあな。」
最近では、鯉伴の出入りの数も頻繁になった。
妖は冬眠などしないから、冬でも活発だ。
最近では流行なのか、各地の妖怪はやけに元気だ。
鯉伴としては関わりになりたくないのだが、どうにも危ういと踏めば、先に灸を据えておくに越したことはない。
ゆえに最近では、夫婦が顔を合わせるのは、夜半の刻に、鯉伴が戻る時のみだ。
それから二人とも疲れていてすぐに眠ってしまうから、言葉を交わす時間もわずか。
夜に出入りの多い鯉伴は昼間まで眠っているし、起きても若菜は働きまわっていて、談笑する暇もない。
そんなことせずに、ただ傍にいればそれだけでいいのだと教えてやりたかった。。
真っ赤になった小さな手が重そうにされど大事そうに支える水桶を、今すぐにでも払い飛ばしてやりたかった。
こうして二人でいられる時間に、もっと自分を見て欲しくて。
若造の如き青い願いだとはわかっている。
それでも、少しでも彼女で満たされた時間が欲しいと願うのは、空言でも虚言でもない、まごうことなき本音だ。
だが鯉伴は、こうして働く若菜の背中を眺めるのもまた、好きだった。
小さな背中が、自分の為に一生懸命になってくれる姿は、やはり嬉しいものなのだ。
いつの間にかほくそえんでいた鯉伴は、裸足に冷たい草履を引っ掛け、若菜のもとへと近づいた。
そして、彼女が運ぼうとしていた水桶を、ひょいと二つ、両手に抱える。
「大丈夫ですよ。自分で持てます。」
慌てて言った若菜を無視して、水桶を持った片腕をよっと軽々と肩口に掛け、彼女を振り返った。
「いいから。どこに運べばいいんだい?」
「あの……勝手場と、手水場にお願いします。」
「あいよ。」
眠たげに目を伏せつつ、それでも言われた通りの場所へしっかりと足を運ぶ。
小走りにその後を追い掛ける若菜は、自分よりも背が高い彼を見上げて、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、鯉伴さん。」
「ん。」
眠たげな素っ気ない返事だけれど、ちゃんと手伝ってくれる。
そういう彼のさりげなく優しいところが、若菜は好きだった。