懸想の三蔵

□玲様へ寄贈
1ページ/3ページ






珍しい、小春日和の日だった。

昨日までの寒風はどこへやら。

いつの間にか雪解けした庭にそっと素足をつけてみれば、じんわりの冷たさが足の裏に広がった。


「若菜様。お身体に障りますよ。」

「大丈夫。ちょっとだけだから。」


とは言うものの、その足取りは覚束ない。


懐妊の後、半年。

次代の奴良組総大将を孕んだ北の方は、まだ十八だ。


好奇心が旺盛で活発なのは彼女の良い所だが、同時に周りを杞憂にさせる種となる。

片時も目を離さぬようにと、雪女と毛倡妓は主人より承っている。


その当人である鯉伴は、今は些細な所以あって屋敷を離れている。

だが、本当は常に若菜の傍らで一切の世話を一人で請け負いたい本心は、彼女達にも伝わってくる。


されど、彼はこの一家の二代目総大将。

そういうわけにもいかず、昼も夜も時を空けては暫しの後に用事が入る。


その度に出て行っては、ふらりといつの間にか帰って来ている。

本当に神出鬼没な主だと、長年仕えている彼女達は思う。


その人を骨抜きにするのが、このまだ幼い無垢な少女だ。

危なっかしくて、輿入れして来た当初は、何度肝を冷やされたことだろうか。


だが、その度に心を休まされる。

清廉で純粋しか知らないこの娘だからこそ、畏れ多き百鬼の主の目に留まったのだろう。

これまでに幾度となく良縁を断ってきた男が選んだのも頷ける。


「風が、気持ちいい。二人も、一緒に出てきたらいいのに。」


振り返って、二つに束ねた髪を風に遊ばせながら、ふわりと微笑む。

その姿が眩しくて、二人はこぞって目を細めた。


どちらともなく女主人に倣い、素足を冷たい地面につける。

二人には冷たいという感想しかなかったが、若菜にはこれが満足であるらしい。

よくわからないが、彼女がそうだというのならそうなのだろう。


「貴方も、もうすぐで直接風を感じるようになりますよー。」


いとおしげに、腹の中に眠る子に語りかける姿は、少女ではない、一人の母親の姿だった。

その様子を見守る二人から、彼女を諌める気はとうに失せていた。










































「若菜。」


日の光が温かくて、心地よくて。

草履と足袋を手に、広い庭園を裸足のまま散歩していたら、自分を呼ぶ声がして振り返る。


「鯉伴さん。」


少し息を切らしている彼は、若菜のもとへ近づいて、柳眉を寄せた。


「何してんだ。」

「今ね、散歩してたの。毛倡妓と氷羅ちゃんと、それにこの子と。」


腹の子を優しく撫でながら、ね?と問いかける。

我が子からの答えはないけれど、彼女は充分に満足そうだった。


憮然とした鯉伴がちらと視線をやれば、二人の侍女は慌てて拝礼した。

止めるように命じてあった筈なのに、彼女達がそれを怠ったのは事実。


けれど鯉伴は、咎めなかった。

この若菜を見て、諌めようなぞ、出来よう筈もない。

鯉伴でさえ、咎めることが出来たかどうか。

この無邪気な笑顔に水を差すようなことは、恐らく誰にもし得ないだろう。


「じきにまた寒くなる。そろそろ戻るぞ。」

「はい。」


素直に頷いた彼女を横抱きにし、鯉伴は踵を返す。

大股に母屋を目指す途中で、若菜が「あら?」と声を上げた。


「どうした?」

「今、動いたの。」


そう言って、腹部を擦る。


「起きたのね。さっきまで寝てたから。」

「そうかい。疲れたんだろ。」

「そうかもね。」


くすりと若菜が微笑んで、鯉伴もつられて顔を綻ばせた。









次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ