懸想の三蔵

□零様へ寄贈
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「……二代目。」

「あ?」

「いくら夫婦でも、これは犯罪に当たりませんか。」

「気のせいだ。」


血相を変えた必死の形相の雪女と毛倡妓に羽交い絞めを易々と抑え、鯉伴は悠然としている。

傍らに控える首無は一つ溜息を溢し、視線を一点へと向ける。


そこには、旧友と戯れる、幼子のように無垢な奥方の姿があった。























































奴良組二代目総大将の北の方は、本日、高校の同窓会につき、屋敷を出ている。

最初、彼女が夫にその話を持ち出したときは、周囲ともどもに認許せなんだものだ。


しかし、一度こうと決めた彼女はなかなかに折れない。

滅多に我侭どころか望みすら口にしない彼女の珍しい願いだ。

やはり彼女にだけは鯉伴が認めてやらないわけがない。


渋々、百歩も千歩も譲って承諾すれば、彼女は満面の笑みで礼を言ったので、良しとすることにした。

とはいえ、彼女は一度俗世を離れた身。


ここは若菜の故郷から離れた東京の外れ。

そして、妖の住まう屋敷。


一時的にとはいえ、彼女が人の世に戻ろうなど、困難極まりない。

そこで、鯉伴がおとなったのは。


「やい、親父。」

「なんじゃい。」


盆栽の手入れをする父親にしかめっつらを向けた鯉伴は、不服のまま、不承不承に己が父に久々の願い事を託す。

普段はたいてい、からかい合いと喧嘩と、それに減らず口だけしか交わさない親子である。

それも子の方である鯉伴が父親にこうして面と向かうのは、随分と久しぶりだ。


肩を竦め、腹を決めた鯉伴は、一言だけ口にする。


「陰陽師を貸せ。」

「は?何じゃい、世迷言かい。」

「違うわ。真面目に言ってんだ。幻術使いでも何でもいい。それらの類、誰でもいいから紹介しろ。」

「何を唐突に言っとるんじゃい。そんなもん、とうの昔に滅んだじゃろ。」


確かに、この時世に、紛い物でない神通力を持つ者は少ない。

妖はこうして存在するものの、人の類はすっかり平和惚けしてしまい、その力を持っていても持ち腐れさせてしまう者がとことん多くなった。


だから、このご時世にそんな便利な力を持つ者がそう簡単に見つかろうか。

だが知っているとすれば、この父親を措いて他にはあるまい。


非常に癪に障るが、この人に頼るより他なかろう。


ぬらりひょんは鼻で笑うと、やれやれと首を回した。


「知らんのー。」

「惚けんな。知り合い、いんだろ。」

「さてな。どうじゃったか。」


短気な鯉伴は、堪えるのを厭う。

普段なら食って掛かるだろうが、今ばかりはあの娘の為だ。


ここは、ぐっと堪えるより他にあるまい。


「…………頼む。」


思い切って頭を下げれば。


「何じゃ。おまえが頭下げるなんざ、気味が悪いのう。今日は霰でも降るんかの。」


ぶちっと、短い堪忍袋の緒が切れて。

無論、喧噪の沙汰となった。
























































――全身に傷を負って。

しかも、相手はほとんど無傷で。

非常に腹立たしい限りに尽きる、が。


小言を言われ、腹立たしいを過ぐ程に嘲笑され、それでも望みは叶えてもらった。

これで、人の目は欺ける。


若菜が一度だけ人の群れに帰ったとて、誰もその後の彼女を引き止めたりなぞしない。

息抜き程度に俗世に返したところで、もし彼女を家元に帰されても困る。


一応、両親に頭を下げてまでして話はつけたとはいえ、それが彼女の本意とてほとんど強引にかどかった娘だ。

あまり人間の目に晒して、後々面倒な事になりたくないのが鯉伴の本心ではあるが。


若菜の久々の願いだ。

聞き入らないわけにもいくまいて。


「ありがとう、鯉伴さん!」


苦労して、その上更に苦労を重ねて。

ようやく、彼女の意に沿うことができたところで。


若菜のその言葉で、それまでの苦労もすべて、どうでもよくなった。









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