長編

□序夜
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時は平安。桓武帝の御世。

人の女の皮を被った羽衣狐同様、
市女笠の下にその容貌を隠しつつ、
闇の下で百鬼を集う霊狐。

人はおろか、妖にすら畏らるる妖怪。

彼女の跋扈した闇のもと、
失われた命は数知れず。

しかし彼女は、ある夜を境に姿を消した。
否、封ぜられた。
為すは、京の陰陽の族、花開院。








「赦せ、赦せよ、斎姫。」

「兄様?」


赦せ、と請いつつ、刃を向ける実兄を、
彼女はきょとんと見つめた。

いつまで経っても無垢なままの瞳は、
いつも兄を和ませていた筈なのに、
今はかえってそれが、彼を苦しめた。


「すまない、我が妹子…」


こうするしか、なかったのだ。
まだ若い彼に、“あれ”を祓うだけの器量はない。

されど、誰かが封ぜねばならぬ。
だから、彼が陰陽師であるためには、
こうするより他になかったのだ。

彼はもうこれ以上、哀れな妹を見ていられなくなって、瞳を閉ざした。


「一に十々、二に十々――…」


言詞を唱える。

周りに控えた陰陽師達も、それを復唱する。





おのれ……赦さぬぞ
わらわは……妾は必ずや蘇ろう
さすれば、この怨み……





「急々如律令――…縛!!!」



刹那、風が舞った。

巫として贄とされた姫が、嗚咽とともに悲鳴を上げる。




この怨み……必ずや晴らさん……っ!!!




恐ろしい呪が、彼女の小さな口から発せらる。



絶叫。憎悪。呪怨。激昂。



それらを遺し、彼女の胸は兄の手によって裂かれ、そして――…。


















かつて、闇の主と恐れられたその妖。女狐は。

京の北山の奥深く。さらに辺鄙な地――畝尾山山中の祠に封ぜられた。

祠には、贄とされたうら若き花開院の姫の遺骸が納められている。

実の兄に、その妖を捕らえ幽囚するため、兄の手によって殺められた、哀れな姫。

誰も、彼女のことを知らぬ。

ゆえに、感謝する者さえおらぬ。





哀れで、純粋無垢であった姫君。







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