長編

□第七夜
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「町に繰り出るぞ、若菜。」


勝手に襖を荒く開け放つや、早々に彼はそう言った。


「え?」

「早くしろ。奥に閉じこもってるばっかりだと、億劫になんぞ。」


ぽかんとする彼女を引っ張り、さっさと外へと連れ出す。

思い立ったがすぐに行動するのが、鯉伴という人。

今がそうだ。

やれ連れ出そうと思えば、考えるより先にまず行動に出る。

彼女は今、保護観察の下にある。

そうそう連れ出して良いものではないだろうが、かといってこのまま塞がってもらっていても胸が晴れない。

任侠の頭奴良鯉伴とて、人の子でもある。

慈悲の情けがあるから、この恵まれず苦悩に苛まれる娘を哀れに思うのだ。

彼女の気が少しでも軽くなるよう、尽力しようではないか。

――と、いうのもあるが。

実は本日の白昼の頃より、鯉伴に客人が来ることになっているのだ。

傘下の組の頭の直談判である。

大方、扶持と領地についてだろう。

つまり、面倒くさいことこの上ない。

もともと鯉伴はこの手の交渉が苦手だし、難しいこともよくわからない。

だからこういったことは、頭の切れる黒田坊か、真面目な首無にでも任せておけばいいのだ。

後になってどうこう責められたら、これを口実にすればいい。



我ながら完璧である。



一人で自己満足して頷きつつ、鯉伴はぐんぐん歩を進める。


「あの、鯉伴さん!」

「ん?何だい。」


立ち止まって振り返ると、門扉の手前で若菜が躊躇している様子だった。


「勝手に出たりして、大丈夫なんですか?」

「勝手につっても、ここは俺が統括してんだからいいんだよ。」


それでも釈然としない様子の若菜の様子に、鯉伴は唸って思考を巡らせた。

そして彼は、立ち竦む若菜の手を取った。


「彪虞。」


彼が呼ぶや、二人の頭上に影が生じる。

若菜が驚いた時には、それはもう着地していて。


「乗りな。こいつの背から眺める景色は、気持ちいいもんだぜ。」


そうは言われても。

目の前のそれはどう見ても、若菜の知る限り虎の類のもので。

乗れと言われて易々と乗るほうが、どうかしている。



「大丈夫だ。足こそ駿馬も韋駄をも凌ぐもんで走りは荒いが、気性は大人しい。」


よっこらと自分は軽々それに乗って、鯉伴は若菜を見下ろす。

そして、無邪気な童のように、にっと笑った。


「ほら。」


差し出された手に、若菜は困惑しながらおずおずと手を伸ばした。


――と。














「総大将――っっ!!!」

「見つけましたぞ、二代目―――っ!!!」





けたたましい怒声が聞こえて、若菜はびくっと肩を震わせた。

驚いて背後を振り返ると、二人の破戒僧がこちらに向かって物凄い人相で走って来ていた。



「げっ。青と黒じゃねぇか。」



思い切り顔を引き攣らせた鯉伴は、焦って若菜に向かって言った。



「若菜!」



差し出された手。

逡巡こそしたものの、若菜は今度こそ、それを掴んだ。

すると刹那、彼女の身体がふわりと軽々浮遊した。

そして、大気が流れる音。

まるで宙を飛んでいるかのような、かつてない感覚だった。


一瞬後。気づいた時には、若菜は鯉伴の前に腰を下ろしていた。

足元は、地面から随分と離れていて。

地上からは、二人の喧騒が届いていた。

だがそれも、ほとんど聞こえなくなり、やがて空気の流れる音に消されていった。


「上出来だよ。」


悪戯が成功したような顔で、鯉伴が笑った。

その顔があまりに近くて、若菜は思わず赤面して顔を背けた。

すると鯉伴は、若菜の頭に手を置いて、わしわしと撫でた。

その手つきは、荒々しくて、粗雑だった。

でも、どこか優しくて、もっと求めたくなる。



「彪虞。捩目山へ向かえ。」


そこはシマの極西に位置する。

さすがにそこまでは、鴉達の監察の捜索も巡らないだろう。


「しっかり掴っとけ。ふりおとされんぞ。」

「そ、そんなこと言っても、」


掴むところなど、あるものか。

あるとすれば、ふさふさとした長い毛並みだけ。

まるで、手すりのないジェットコースターだ。

みるみる青ざめた若菜の願いも虚しく、虎の妖はさっさと加速してしまう。

その恐怖といったら、ジェットコースターどころではない。


悲鳴すら上がらないでいる若菜の腹に、何かが回される。

ゆっくりと視線を落とすと、鯉伴の腕だった。


「そんなに怯えるな。大丈夫だ、捕まえてるからよお。すぐに慣れるさ。」

「慣れるって……私は鯉伴さんとは違います!」


鯉伴は妖怪だから、そんなことが言えるのだ。

妖怪というものの存在とやらに、若菜の頭がようやく慣れ始めているようだ。


けれど彼は、さらりと言ってのける。


「ああ、俺は半分人間だぜ。」

「え……?」


少しだけ肩越しに振り返って彼の顔を見れば、鯉伴は飄々と何でもないような顔をしていた。

――半妖。

そう呼ぶのだろうか。

若菜はてっきり、彼がまったくの常人ならぬ、妖怪の類だと思っていた。

けれど、違うというのなら。


「……すごい。」

「は?」

「すごいですよ、鯉伴さん!」

「へ?」


ぽかんとした風情の鯉伴を、若菜は肩越しに振り返って讃える。


「だって、貴方は妖怪じゃないのに、妖怪さん達を率いているんでしょう?」

「んー…、まあ、な。」

「だったら、すごいことじゃない!」


素直に感動している若菜に、鯉伴は苦笑した。


「だがな、若菜。俺は妖怪じゃないと同時に、人間でもねぇんだよ。」

「え?――…あっ、」


言われて初めて、若菜は自らの失言に気づいた。

そういうことなのだ。

妖怪でもなければ、人間でもない。

彼はどちらにも、なりきることは不可能なのだ。

彼の血が、そうさせるから。

だから彼が妖の血を選んでも、もう半分の血、人道がそれを邪魔する。

つまりは、生り損ない。

それを遠まわしでも、若菜は言葉にしてしまったのだ。


「ごめんなさい…。」

「おいおい。そんな辛気臭い顔しないでくれ。こっちまで曇っちまう。俺も責めるつもりで言ったんじゃない。」

「でも、」

「別に気にしてないさ。組の傘下の一部にゃ、もっとあからさまに露顕してる野郎どもは山ほどいる。」


な?と彼はもう一度念を押す。

――この時、若菜は複雑だった。

初めて、鯉伴の天性の翳りに触れた、この時。

若菜には、この人が、とてつもなく大きなものを背負っているような気がした。










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