薄桜鬼

□毒を以て愛を語る
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 「沖田さん」

 見慣れた背中に声をかけると、振り向いた彼がわたしの喉に刃を突き立てた。
 わたしは思わず息を呑んで、後ずさるように数歩うしろによろめいてへたり込む。

 「何だ、きみか」

 彼は……沖田さんはちらりとわたしを見ると、興味をなくしたみたいに刀を鞘に納めた。
 驚いて立てないでいるわたしに手を差し伸べることもせず、それどころか迷惑そうにわたしを見る。

 「なあに? その顔。まるで僕が悪いことしたみたいじゃない」

 まるでって、そのとおりなんだけれど。
 いまのは彼の中で悪いことのうちに入っていないのだろうか。

 「稽古中に急に声をかけたきみが悪いんだよ」

 「……すみません」

 わたしは袴を払って立ち上がると、うなだれて謝った。
 沖田さんはしばらく冷たい目でわたしを見ていたけれど、飽きたのかまた稽古に戻っていく。
 わたしはモヤモヤとした気持ちで、彼の後ろ姿を見つめた。
 偶然見かけた稽古中の恋人に声をかけるのが、そんなにいけないことだろうか。
 ……恋人、なんだよね。
 わたしは揺らぎそうになる気持ちを堪えるように胸の前で両手を合わせ、ぎゅっと握り締める。
 沖田さんが冷たいのは、いつものことだ。
 斬る対象以外のものに興味がないのも、誰かと深く関わることを拒むのも、いつもの沖田さんだ。
 ……いつもの沖田さん、だから。想いを確かめ合ったあの日は嘘なんじゃないかと、不安になる。
 数月前の満月の夜、わたしを抱き締めてくれた彼の温もりは夢なんじゃないかと思えてしまう。
 彼は新撰組の幹部。こうなることは、多少覚悟していたけれど。
 それでも泣きたくなってしまって、わたしはきつく唇の端を噛んだ。

 「いつまでそこに居るつもり? 稽古の邪魔になるんだけど」

 相変わらず容赦のない言葉を、彼は平気な声でぶつけてくる。
 ここからは背中しか見えないけれど、あの冷たい目で言われていたら本気で泣いてしまったかもしれない。
 返事をしないわたしを訝しんだのか、沖田さんが剣を休めて振り向いた。
 
 「……何? もしかして、泣いてるの?」

 呆れたような、面倒くさそうな声。よけいに胸が痛くて、泣かないように強く唇を噛む。 
 彼の言葉はまるで毒だ。わたしを辛くするのに、蝕んでいくのに、浴びれば浴びるほど好きになっていく。
 どうしてだろう。こんなに悲しいのに、こんなに愛しいと思ってしまう。
 
 「瞳ちゃん?」

 沖田さんがそばまで近づいてきて、わたしの顔を覗き込んだ。
 心なしか気遣ってくれているようで、わたしは思わず顔を上げる。

 「……めんどくさい子だね、きみ」

 言葉は突き放すようなのに、彼は小さく笑ってくれた。今日初めての笑顔だ。
 溜まっていた涙が頬を伝って、それを沖田さんが指先で拭ってくれる。

 「どうして泣いてるの?」

 どうしてそんなこと、聞くんですか。 
 わたしがなんで泣いているのか、わかっているくせに。
 その証拠に、彼は愉しげな含み笑いを浮かべている。

 「……寂しいからです」

 小さく答えると、また涙がこみあげそうになった。
 沖田さんは「ふうん?」と小首を傾げて、わたしの前髪を指で弄る。

 「それって、僕のせい?」

 ほら、知っているくせに。
 わたしはこくりと頷いて、恐る恐る彼を見上げた。
 沖田さんはわたしをじっと見下ろして、なんとも言えない笑みを浮かべたままだ。

 「……あの……」

 「口」

 彼がそう呟いたかと思うとふと目の前が陰って、唇の端に柔らかいものが触れた。
 かすかに口元をくすぐる吐息が熱くて、なんだか甘い。毒が、わたしの身体に流れ込んでいるみたい。

 「切れてるよ」

 ぺろりと舌先で舐められるみたいにされて、チクンと唇が痛んだ。
 さっき噛んだときに切れたんだろうか。熱と同時に小さな痛みがズキズキと疼く。
 沖田さんを見上げると、彼は悪戯っ子みたいに笑っていた。

 「何かを我慢するときに唇を噛むのは、きみの癖だ」

 彼のしなやかな指先がわたしの顎を持ち上げる。
 びっくりするくらい近いところに、沖田さんの端正な顔。
 何を秘めているのかわからない不思議な瞳が、わたしを誘っているみたい。

 「瞳ちゃん」

 「……はい」

 「僕はきみが好きだって、言ったよね」

 「…………はい」

 あの夜のことが、夢でなければ。
 沖田さんはその記憶が本物だと証明するみたいに、わたしを抱き寄せる。

 「どんな僕でも好きだって言ったのは、きみだよ」

 囁くような声はどこかわたしを責めているようで、胸がきゅっと痛んだ。
 どんなあなたも好き。わたしはたしかにそう言った。そしてその気持ちは、いまでも。

 「少し冷たくしたくらいで泣かれるようじゃ、困るんだけどなあ」

 意地悪な言葉とは裏腹に沖田さんはわたしを強く抱き締めてくれる。
 どうして、冷たいのに優しいんだろう。無関心のくせに抱き締めるんだろう。
 疑問を抱きながらも彼が愛しくて、彼の背中に腕を回して応える。

 「……僕のことが嫌いになった?」

 あなたはいま、何を思っているんだろう。
 どんな答えが欲しくて、そう聞いているんだろう。

 「……なりません。好きです、ずっと……どんな沖田さんでも」

 彼が求める答え方など当然わからなくて、わたしは正直にそう伝えた。
 怖いと思うのは事実。辛いと思うのも、悲しいと思うのも事実。寂しさに泣いてしまうのも事実。
 だけどそれ以上に、毒のように甘く魅力的な彼に惹き寄せられてしまう。
 全身に回った毒は、いつかわたしを蝕んで壊してしまうかもしれない。
 それでもいい。そう思うわたしは、きっとすでに彼の毒にあてられているのだろう。

 「きみは馬鹿だね、ほんとう」

 沖田さんは微苦笑を漏らして、わたしの髪を梳いた。
 刀を握って人を斬る残虐な彼の手は、妙に馴染んで心地よい。
 ほんとうは優しい人だから。冷たさの裏に隠した何かを知りたい。
 毒の中に潜む甘い花の蜜は、わたしを一層夢中にさせる。

 「……僕は、きみが好きだよ」

 大切な秘密を教えるみたいに、沖田さんは小さく囁いた。
 唇に触れられた耳が熱い。直接耳朶をくすぐる吐息に鼓動が高鳴る。

 「泣き虫なきみも、馬鹿みたいに真っ直ぐなきみも……怖いくせについて来ようとする頑固なところも、愛しいと思う」

 久しぶりに聞ける、彼からの愛の言葉。
 きっとこれは夢じゃない。沖田さんのほんとうの言葉だと信じたい。

 「だから、ずっとそばにいて」

 ほんの少し掠れた彼の声に、何だかすごく切なくなる。
 どうしてそんなに泣きそうなんですか。そう聞きたいのに、聞けない。
 沖田さんは表情を隠すみたいにわたしを強く抱きすくめている。

 「そばにいたいです、ずっと」

 その毒に侵されて、いつか死んでしまうまで。
 あなたの言葉に、温もりに、溺れさせて。
 わたしはぎゅっと彼の衣を掴んで、胸に頬をすり寄せた。

 「馬鹿だねえ、きみは」

 沖田さんは呆れたみたいに笑って、じゃれるみたいにわたしの耳の裏を唇でくすぐる。
 それに肩をすくめながら、わたしもにっこり微笑んで見せた。

 「馬鹿でいいです。あなたのそばに居られるなら」

 自分から滅びる道を選ぶような、どうしようもない馬鹿でいいんです。 
 だってあなたが好きだから。
 毒のような言葉と、愛をくれる指先が好きだから。
 
 彼は心地よさそうに目を細めて、ただ「そう」と頷いてくれた。






 

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