紫傘の向こう

□プロローグ
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私は、「私」という意思が確立するずっとずっと前から 自分の周囲を漂う"見えない何か"を知覚していた。




時には気配だけだったり



時には会話ができたり



時には触ることだってできた。








その存在が属にいう"幽霊"というものだという事を知ったのは、小学校に入学してしばらくのこと。


まだ思春期に突入していなかった私は いつものようにその話を父に報告した。



『ねーパパ
なぎさってユウレイがわかるんだって』



「…なんだって?」




父はそれから、私の言葉足らずの話を恐いほど真剣に聞いていて。


当時の私はなんだか悪いことをして父を怒らせてしまったような気持ちになった。

話の最後の方には涙がうっすらと目に浮かんでいたことを覚えている。







話を聞き終えて大きなため息をつく父。


やはり怒られるのかと体が勝手に身構えた。






「渚――ちょっとお父さんと買い物に行こうか」



『…おかいもの?』



「ああ」

















カッパを着て、傘をさして。


ひどく雨足が強い中、家へと向かう。





『へへ〜〜にあう?』



「あぁ、すごく似合ってるぞ!」



買ってもらったのは当時の自分にはやや大きい紫のヘッドホン。



買った店は見た目は普通なのに とても怪しげな男が店主をしている駄菓子屋。

当時はなぜ駄菓子屋にヘッドホンが売っているのかまで頭が回らなかったが、今思うと不思議だ。



ともかく、そんな些末な事は置いておいて



『たいせつにするね!』



「おっ いい子だ渚!でも壊れたら言うんだぞ」



『うん!』




父は、とても逞しい人だった。


母は私を出産すると同時に亡くなってしまったと聞いた。


けれども父は男手一つで私を育ててくれた。


疲れていても ストレス発散で虐待するなんてことは一切なかったし、
叩かれることはあってもきちんと裏に愛情がこもっていることはすぐにわかった。




いつでも私を包み込むように笑っていてくれて、
母親がいないのを埋めるように優しく、時に厳しく接してくれた。










私は、そんな父が大好きだった。





正義感があって


困っている人を放っておくことができなくて


皆を笑顔にしていく





父の広い背中はいつだって私の憧れで、ヒーローだった。


















『―――?』



雨音に混じって何かが聞こえた気がした。


ヘッドホンをしていておかしな話だが、実際聞こえたのだ。



キョロキョロと周囲を見回す。



「どうした?」


『いま、おんなのひとのこえが―』


「―――――!!!」



『「!!」』




今度は はっきりと聞こえた、







『パパ!!?』



そう思った時には
父は凄まじい勢いで駆け出している。




『――っ!』




その数瞬後、



父が雨でけぶる街に消えていってしまいそうな、そんな予感が背中を奔(ハシ)り抜けた。




止まってはいられずに、



『パパ!まってっ!わたしも!!』



お気に入りだったはずの傘を放りだして父の背中を追った。


















『―――え?』





地に広がるのは、


雨に濡れた紅、赤、アカ





女の人が、私と同い年ぐらいの男の子を抱きしめうつ伏せに倒れていた。



彼女の背中は真っ赤に染まって、




『……へ…』



気の抜けた声が出る。





「ぐぁっ!」


ただ立ち尽くす私の横に、恐らく"ユウレイ"と戦っていたのであろう父が叩きつけられた。





父も、女の人と同じぐらい

真 っ 赤





『パ、パ……』



「……来ちまったか渚…」




うっすらと瞼を開いてこちらを見ていた父は、唐突に立ち上がる。



見上げる顔があまりに白くて 私は思わず小さな悲鳴を漏らした。




「ここは父さんがなんとかしてやる」



ぽんと頭に置かれた掌、向けられる笑顔。



「だから」



安心できるようなそれらはいつもと全く変わらないはずなのに、



「逃げろ」



どうしてこんなにも






嫌な予感がするの?






『イ…イヤ!イヤイヤいや!!パパといっしょにかえるの!』



「とは言ってもなぁ…」




苦笑いで頬をかく父。





――と、




《何なら親子共々喰ってやるが?》




ふいに聞こえた、声。




『―――っ』


「渚!?」




あまりに歪で冷たい声色に、耳を塞いだ。







――ヘッドホンがずれてしまっていることにはその時気づいた




《おや、その小娘 われの声が聞こえておるのか?》


《霊力はないようだのに不思議なことよの…》


《ふむ 益々その娘が喰いたくなってきおった》


《小僧、お前よりもそちらの娘の方が―――》









耳を塞いでも聞こえていた声が、止んだ。





「これ以上は 危ないぞ」




ヘッドホンをしっかり着けさせると、父は私の頭を軽く撫でた。




「怪我させない自信は無い。
渚、下がってろ」



『――それ、』




呆気にとられる私の前で、父の腕がミシミシと音を立てて…




そう、まるで獣のようなそれに変わっていく。





すっかり黒い毛に覆われた"腕"へ変貌を遂げた両の腕。


父は肩ごしに顔だけ振り向いて



言った。




「じゃあな」




それはやはりいつもと変わらない笑顔で。








しかし父はその瞬間、









消えた。















  雨音  雨音







 雨が、肢体を、濡らす。











 雨が、 死体を、 濡らす。







父は、





 鉄橋の向こう側で、






手足がめちゃくちゃな方向に曲がった状態で見つかった。







それを一番はじめに見つけたのは、私 だった。













私は、父が 大好きだった。




父は私のヒーローで、憧れで、いつも私を護ってくれていた。




だから私は
大きくなったらそれまで護ってくれた分 父を護りたいと思って、いた。













もし、私がユウレイのことを父に報告していなければ







もし、私がユウレイを感じられない体質だったら










父は死なずに済んだのかもしれない。














冷たい雨が、まるで涙のように頬をつたっていった。











涙は、出なかった。















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