主は冷たい屍となりて

□EVIDENCE.3 「ミヒツノコイ」
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女が目の前の男めがけて突進する。
手にしたナイフの切っ先はその脇腹にのみ込まれる。

「何てことをするんだっ!?」

女と同行してきた男が思わず叫んだ。

「あーあーあー……」

自分のしでかしたことに女が声をあげそうになった。

とっさに男がその口を手で塞ぐ。

「話し合うんだったろう? それを君は――!!」
「……だ…って、だって、もう嫌なのよ。愛なんかないわ。これっぽちだって! この人は初めから私を愛していたわけじゃないのよ!!」
「……それは君もだろう!」

やりきれなさに首を振る。

ナイフを受け、床に倒れこんだ男の呻く声を聞きながら、女が行動を起こした。

「何をするんだ?」

女は聞こえていないのか脇に刺さったナイフを抜き取る。
同時に噴出した血液が女の手を、胸を染めた。

「この人、まだ生きているわ……」
「だったら、早く、救急車を――」

部屋の電話に手を伸ばそうとしたとき、ナイフを持った女の手が、振り振り上がるのを見た。

「オルタネット!!」

男が女の手を叩き払う。

「何をするのよ、エヴァンズ。とどめを刺すのよ」
「もうよすんだ、正気か!? エドはおまえの夫だぞ?」
「そうよ、そしてあなたの親友――」

女が口角を歪ませた。
その目には狂気がはらんでいた。

男は、呻き声を上げ床に転がるかつての親友を見た。

もうあの日のように共に語らい、酒を酌み交わすのは無理なのだろう。
親友も今では名ばかりだった。

「すまない、エド」

女を制することが出来なかった男は、許しを請うように跪き、手を伸ばす。

息も絶え絶えに見上げてくる、親友と呼んだ男の唇に触れた。

「どこで……間違ってしまったんだろう……な。俺たち……」
「何をしているのよ、エバァンズ!!  死体になんか触らないで」
「オルタネット、エドは生きているんだぞ」

女の言いように嫌悪を覚える。
こんな女と情を交わしていた自分に向けられたものなのか、分からなかったが。

「いいえ、エドは死んだの」

女が再びナイフを振りかざす。

男は今度こそはその動きを止めようと、女の手を掴み、からだを押さえ込む。
ナイフがきらめくたびが身に突き立てられるようだった。

「もういいだろう? このままにしておいても……。これ以上エドを傷つけないでくれ……」

そのからだから流れ出している血が衣服から赤く染み出していた。

「分かったわ」

女が再び口角を歪ませる。
それが笑みということにと男は気づいた。

「あなたが愛していたエドだものね」
「オルタ…ネット……」

女がそれを知っていたことに言葉を失う。

「私が気づかないと思ったの? ずっとあなたを見てきたこの私が……」

返す言葉もなく男は女を凝視するだけだった。

「このままね――。エドは助からない」

狂気の中に悲しみが見えた。
女もまた間違えたのだ。
ボタンの掛け違いに気づいていてもそれを直す手立てがなかったのだった。

男は決意する。

女をいざない部屋から出る。
扉を閉じる前に、親友だった男を一瞥した。

このあと、手遅れにならないうちに誰かに発見されることを祈りながら――。




 

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