スプラッシュ・タイム
□【1】
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そして坂崎に藁のごとくつかまられ、飯島も体勢を崩しかける。
が、つま先に力を入れ踏みとどまった。
小さな子なら抱きかかえることも出来るが、坂崎は、むしろ飯島よりも体格がいい。
おかげで、水中で抱き止めるような格好になってしまった。
「坂崎さん、一度水から出ましょうか」
ついに飯島はそう言った。
飯島の指導どおりに課題をクリアした他のクラス生たちが、興味深げに見ていた。
こっそり失笑している者もいる。
大の男が、溺れる、としがみつく図は、見ている者には可笑しく映るようだ。
だが真剣にやっている坂崎の前でその態度は、そのほうが大人気ないだろう。
「大丈夫ですか?」
水から上がるかと思ったが、坂崎はしなかった。
プールの端にもたれかかり、見るからに気落ちしている坂崎を飯島は気遣う。
「はぁ。なんだかあまりのことに情けないです」
視線を水中に落としたまま坂崎が嘆息した。
その表情は、気持ちはあるのに上手く出来ないのが悔しいと物語っている。
他の者には当たり前のように出来ることが、なぜ自分には出来ないのか。
その悔しさは飯島も分かる。
坂崎に、ぜひとも泳げるようになって欲しい。
飯島は痛烈に思った。
だがこのまま今のクラスでは、時間的にも、納得のいくように教えるには、他の生徒の手前難しいと感じていた。
「もう少し水に慣れることから始めましょう。水の浮力を感じながら水中歩行です。ここから向こうまで行って帰ってきてください」
「――分かりました」
すぐに始めようとした坂崎に飯島は慌ててつけ加える。
「呼吸がもっと落ちついてからでいいですよ。少し深呼吸もしましょう」
「はい」
坂崎が頷いて返事をする。
何度か深呼吸を繰り返したあと、坂崎がプールの端にそって歩き始めた。
その様子を確認しつつ、飯島は他の講習者のために指導を再開した。