災い転じて恋をして

□4.
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「はい?」
「次に住むところが決まるまで、うちにいていいよ。君さえよければ、の話なんだが」
 渡されたのは鍵だった。
「スペアキーだ。会社に予備で置いてあるのを思い出してね」
「そんな、課長。ご迷惑になるんじゃないですか? いくら何でもそこまでお世話になれないです」
「私は構わないよ、気ままな独り者だ。あんな部屋で住み心地は悪いかもしれないが」
 冗談で言っていると思いたいが、慌てて頭を下げる。
「いえ、とんでもないです。こっちこそ泊めていただけるなんて助かります」
「なら決まりだな。今日も遅くなるから、先に休んでいなさい」
「はい。ありがとうございます」
 顔を上げて樫原を見れば、慈愛すら感じる眼差しに胸が一杯になる。ここまでしてもらい、本当に感謝してもし切れない。部屋のことはもう口にしないようにしようと決めた。
 突然の災難に見舞われ、住む部屋を始めいろいろ失ったが、気にかけてくれる周囲の温かさを実感する。
「あ、課長。アイロンってあります? 家に」
「何だ、唐突だな。アイロン、あったと思うが。玄関横の納戸に何かしら入れてあるから、探してみてくれ」




「と、いうことで」
 細々とまた買い物を済ませ、樫原の部屋に戻って来た玉木は、すぐに洗面所に向った。洗濯機からランドリーバッグを引っ張り出すと、中のものを仕分けして今度は直接に入れる。今日までに着替えた自分のシャツや、脱いだまま置いてあった樫原のものも放り込んだ。
「洗濯終わるまで一時間くらいか。じゃあその間に夕飯の準備ができるな」
 そしてアイロン探しを始めた。樫原が言っていた納戸を開けて、中を探る。
「アイロンは――おっと、アイロン台だ」
 アイロンはすぐに見つかった。アイロン台も当然ながら、ミシンまで見つける。
「これってさ、普通に結婚している家庭みたいだよな」
 ミシンまではあるとは思わなかった。それがあって悪いということはない。ただ男の独り暮らしに必要なものとはいえないと思った。
 不思議なのは、あそこまで何一つ家事らしいことをしない樫原が、どうしてここまで揃えているのかだった。
 玉木は、昔つき合っていた人がいた、と言った温田の話を思い出す。その相手の人が持ち込んだものだろうか。
「振られたって温田さんは言ってたけど、つまりは別れたってことだよな。でも、それならそれで、こういうものって置いてっちゃうかな」
 考えているうちに、何か落ち着かなくなってきた。どうも胸の辺りにざわざわしたものを感じる。
「何にしても課長のプライベートなことだろ。オレには関係ないじゃん」
 こうして衣食住の「住」を提供してもらっているだけで、十分ではないか。だからそのお礼としてほんの少し、「衣」「食」のことをしようと思った。
「洗濯終わったら、アイロンがけだ。ワイシャツだって、家で洗えるんだぞ」
 そのためにスプレー式の洗濯糊も買ってきたのだから。
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