スプラッシュ・タイム
□【7】
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「そうです。息継ぎのタイミング忘れないでください」
水飛沫を上げ、水面を進む男の体を飯島は見ていた。
腕が水をかくたびに動く肩甲骨。呼吸のために横に上がる男の顔。
一定のリズムで繰り返される。
その体がベッドの上で自分を翻弄するのだ。眩暈がする。
「コーチ?」
飯島の横を過ぎ、立ち上がった坂崎が、振り返る。
「あ…済みません。じゃあ、忘れないうちにもう一本行きましょうか」
「分かりました」
再び、坂崎がプールの底を蹴って泳ぎ始める。
もう坂崎は水に沈むことはなかった。
水に浮くことが出来れば、次は進むことを考えればいいのだ。
そして進み続けるために息継ぎをする。
もう初心者卒業だった。
「――いいですね。じゃあ、今日はこれくらいにしま……っ」
最後まで言えなかった。
往復して戻ってきた坂崎が水中にあった飯島の手を握ったからだ。
「あのっ」
遅い時間のため、指導用に使っているコースには二人だけだが、その二つ向こうのフリーコースには、クラブ会員が自由に泳いでいる。
「坂崎さん……」
並んで立っていても、指導をしていると見られるだけだろうが、飯島は困ってしまう。
「そんな顔をしないで」
坂崎は年齢に似合わず、いたずらを仕かけた子供のように、飯島の反応を面白がっているようだ。
「なら手を離してください。今は……」
指導中だと、消え入りそうな小さな声で訴える。
「あとで、ね」
「はい……」
短い言葉だけで、通じ合う。
飯島は染まる頬を見られたくなくて、水に潜った。