スプラッシュ・タイム
□【2】
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坂崎が週一回の個人指導コースに切り替えてから、そろそろ一カ月ほど過ぎる。
指導を始めてみて思ったのは、ともかく熱心だった。年若い飯島に対して、年齢差によるおごった面もない。
飲み込みも早く徐々に水中でのこつもつかんでいく。
ときおり、フォームの修正で坂崎に触れたとき、一瞬体が強張るのが気になるといえば気になるが、人に触れられるのに慣れていないせいだろうと、飯島はなるべく声をかけてからするようにした。
そして息継ぎの課題がまだ残るが、余分な力が抜けて水に浮くだけなら何とか出来るようになってきた。
学生時代、坂崎は陸上をやっていたという。
その元来の運動神経の賜物かもしれない、と飯島は思った。
「じゃあそこからプールの底を蹴って、け伸びして私のところで立ってください」
飯島は坂崎が出来そうな距離を取るため離れる。
「分かりました」
坂崎が両手を伸ばして底を蹴る。
その勢いで手足を伸ばしたまま、飯島が立っているところまで近づいてくる。
飯島は秒数を内心で数え、坂崎の息が続く時間を計りながら、少しずつ場所を移動していく。
「はぁっ!」
勢いよく顔を上げ、立ち上がった坂崎が大きく息を吸い込んだ。
「坂崎さん、凄いですよ。ここまで来ました!」
飯島が最初に立っていた位置よりも二メートルほど離れていた。
坂崎は自分が立っている位置を見て驚いた様子だった。
「コーチ、先ほど立っていた場所と違うじゃないですかー」
そう文句めいた口調だったが、泳いでこられたのには違いがなく、顔をほころばせている。
「済みません。でも、泳げたんですよ。今度は壁を蹴ってやりましょう」
「分かりました」
坂崎が飛び込み台のある壁に向かって水中を移動する。
ロープで仕切られた隣のコースでは、若い男が泳いでいた。
フィットネスクラブのほうの会員だった。
コーチ指導はないが、会員は自分が登録しているクラブ以外の施設も利用出来るからだ。
「あんなふうに泳げるようになりますかね」
坂崎が隣で往復して泳いでいる人を見て言った。
「なりますよ。坂崎さん飲み込みが早いですし。最初来られたときはまったく泳げなかった坂崎さんがここまで出来るようになられたんですからね」
「それはコーチの指導がいいからですよ」
嬉しそうに坂崎は言った。