災い転じて恋をして

□5.
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 樫原の家に世話になるようになって、二週間ほどが過ぎた。その間ももちろん玉木は部屋探しを続けていたが、それほど熱心になれない。今の生活に馴染み出していたのかもしれない。玉木の荷物も徐々に増えだし、バッグが二つになっていた。
「案外居心地がいいんだよな」
 昼休み、買ってきた住宅情報誌の高代地区のページを開く。
「やっぱ高いな、あの辺は」
 地下鉄高代駅付近のマンションは樫原のところと同様ハイグレードで、とてもサラリーマン二年目の玉木の給料では難しい物件ばかりだ。
「けど、探さないと」
 いくつか候補を上げ、そのページに付箋をつけた。
 そうしているうちに、出払っていた人が戻り、午後の業務が始まった。玉木は午前からの続き、在庫を確認しながら納品伝票を起こす作業を再開する。
「玉木、ちょっと」
 温田の声に、玉木は顔を上げた。樫原のところで深刻そうに話し込んでいた温田がこちらを見ていた。普段穏やかな温田の表情としては、かなり暗い顔だ。
「はい、何でしょうか?」
 立ち上がり近づいた玉木は、二人の間に婦人物のシャツが一枚出ていることに気づく。玉木にも見覚えのある、先日東京での商談に使ったものと同じデザインだ。今期三課で主力にしているシリーズの一つでもあった。
「商品部に行ってこの品番のシャツを一枚、三課に移動伝票起こしてくれ」
「これですね。はい分かりました。一枚、ですね」
 品番を控え、温田に復唱して答える。ちらりと樫原に目を遣れば、温田に負けず気難しげな顔をしていた。
「そうだ。サンプルにするから」
 玉木の視線に気づいたのか樫原が答える。
 シャツと一緒に机の上には書類が出ていた。その中に「クレーム」という文字を見つける。何かトラブルが起きたと考えるのは容易だった。
 何か非常事態のようだ、と玉木は言われたことにすぐに取りかかった。商品部に行き、温田に指示された品番の商品を出してもらう。
「このシャツか。さっき見たのと同じじゃないか」
 玉木には、二人が見ていたものとシャツと同じ物にしか見えない。
 それを持ち、急いで営業部に戻る。
「持ってきました」
「ああ貸してくれ」
 待ち構えていたように玉木から受け取った樫原が、シャツを広げて二枚を見比べ始めた。
「デザインはまったく同じだな。だが並べれば当然分かるね」
「そうなんですよ。ちょっと見ただけでは、色目も同じで分からないですが」
「これは困ったことになったな」
 そう言って樫原が渋面を作る。気になり玉木は口を挟む。
「あの、済みません。どうされたんですか?」
 二人の話ぶりでは、二つのシャツが別物だと言っているように聞こえる。玉木にはその差が分からなかった。
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