(宝物小説)
□ユキ様
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(アベミハ)
泣かせたくない。
でも、泣いていてほしい。
君と手をつないで
雨が降っていた。さらに寝坊したらしくて、三橋は車を出してもらったらしい。
それを風の噂で(提供したのは泉だった)訊き及んだ阿部は、練習を終えた後、まんじりともせずにその時を待った。
誘おうと、思って。
一緒に帰ろう、なんて。
「三橋」
モゾモゾと着替える三橋の横に移動して声を掛ける。緊張してしまうあまり、表情が硬くなってしまった。
プルオーバーのパーカーから顔を出した三橋は、思わず近付きすぎた阿部の表情を見て。
真っ赤になった後、すぐに顔色が青くなる。
「……は? 三橋?」
縦線が入って見えるほど血の気がなくなった顔を見て、阿部の方も血の気が引いた。
「……っあ、べ、く……ご、ゴメンナ、サイ……っ」
よく見ると、三橋の瞳にはこんもりと涙がたまっている。慌ててしまっていると、泉が笑いながら阿部の肩を力一杯叩いた。
「あんまコエー顔してんなよ」
「三橋、阿部はコエー顔してっけど、全然怒ってないぞー」
あっけらかんとフォローしたのは田島だ。グッジョブ、と思いながら三橋を伺うが、瞬きをしたとたんに涙がこぼれてしまった。すかさず田島ははやし立てる。
「阿部、三橋泣かしたー!」
「オレかぁ?!」
ああ、思い出す。初めて会ったときのことを。ただ投げてみないかと訊いたら泣き出してしまったんだった。
(オマエ、変わってねえの?)
必死に顔には出さないようにしていたが、内心かなり狼狽えてしまう。何と声をかければいいのか、全く解らない。
「あーもう! めんどくせえ。阿部、三橋送って帰れ!」
バリバリと頭を掻きむしった泉が、阿部に三橋の鞄と部活バッグを寄越してきた。
「ぅえっ……あ……」
ポロポロと涙をこぼしていた三橋は、慌てたように目元を擦る。涙を止めようとしているらしいが、急に止まらない。拭っているのか塗りたくっているのか、わからない有様だった。
「……行くぞ」
「ひっ……」
今のはしゃくりあげたのか、それとも悲鳴か。前者ならいいと願いながら、二人分のバッグを背負い、部室を後にする。
「泣きやめよ」
「ぅ……っ、は、はい……」
鼻をずるずると啜りながら返事をした三橋を振り返ると、驚いた様子でビクリと震えた。
「ご、ごめ……」
「何で泣く? ……いや、何で泣いたか訊いてもいいか?」
言い方も悪いのかもしれないと思い至り、顔の筋肉を総動員して笑顔を作って、できるだけ優しく訊いてやる。
「……っ、う、」
答えたいのだろう。だが、何度も声を出そうとするたびに上がるしゃっくりが邪魔して、答えられないようだった。
その必死さが嬉しいし、愛しい。大きな声で好きだと叫んで、きつく抱きしめたい。しかし、ここは一応校舎内。誰がくるのか解らないため、理性の力で抑え込み、溜息を吐く。
阿部の溜息を聞きつけて、三橋の顔色は悪くなる。顔色が悪いから、さらに溜息を吐く。……悪循環に気づいてしまった。
がくりと力なくうなだれて、またもポロポロと涙をこぼす三橋が、かわいそうでかわいくて。
「……もう、泣くなよ。怒ってねえから!」
ふにふにと柔らかそうな頬を滑り落ちる涙が子どものように見えるくせに、赤く染まる唇や濡れたまつげははっとするほど艶めいて見える。ドキドキする気持ちを抑えながら、阿部は大きな声を出して、三橋の手を掴んだ。
「ご、ごめっ……さいぃ」
「いーから泣くな」
歩くのもおぼつかない三橋を引っ張り、自転車置き場まで手を繋いで歩いた。
途中、部活が終わったと思しき生徒たち何人かとすれ違ったが、繋いだ手を離さなかった。
(こういう状況でもなきゃ、手なんて繋いで歩けない)
泣かせたくはないものの、泣いていてほしい。手を繋いで歩く、――三橋とずっと一緒にいられるという大義名分がほしい。
「……手、繋いで、る……」
ゆっくり歩いたせいで、自転車置き場に着く前に三橋は泣きやんだようだった。
泣いた後のぼんやりとした声で、ちいさく呟く。そして。
「う……うれ、しい……っ」
また泣き出してしまい、阿部を大変困らせたのだった。