幕恋hours short
□壬生の狗
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「あっ」
歩きだしてすぐ、間の悪いことに少しくたびれていた深雪の草履の鼻緒が切れた。急に歩みを止めた深雪を不審そうに振り返った土方は、事情を察すると彼女の腕を支えて道の端に連れて行った。
軒下に伏せてあった桶の上に座らせると、懐から手拭を出して口の端に咥え、細く裂く。
それを縒って、器用に鼻緒を挿げ替え始める土方に思わず深雪は目を瞠る。
「・・・京には慣れたか」
「あ、はい。なんとか」
そう答えると、土方はにやっと笑う。
「じゃあ、俺達の悪名も耳に入った頃か・・・初めに会った時は、おまえはなにも知らなかったな」
壬生狼。
その名を、もう深雪は厭と言うほど知っている。
攘夷派志士を片っ端から捕縛し、手向かえば容赦なく切り捨てる、血も涙もない剣客集団。そんな噂を幾度となく聞いたし、実際多くの志士たちが彼らの前に志半ばに倒れた。
彼らに対する京の人々の目は、あまり好意的ではない。潤沢な藩費で京の町を潤した長州藩士たちを追い出し、殺害した代表格。それが新撰組だった。
(それなのに・・・・)
何故か深雪には、土方が鬼とまで呼ばれるのか実感が湧かなかった。人を斬るというその手は、自分を支えてくれたとき、とてもやさしく温かかった。
「・・・そんなに、見るな」
そう言われて、はっと我に返ると土方が照れくさそうな少し怒ったような顔で手を動かしていた。
我知らずじっと見つめてしまっていたらしい。
「ご、ごめんなさい」
「別に、怒ったわけじゃねえ。怖がんな」
きゅ、と鼻緒の元を締めながら言う横顔は、改めて見ると驚くほど端整で綺麗だった。
「初めて会ったときのお前は、何も知らないぶん俺達をちっとも怖がらなかったな。もうあんな顔が見られないのは、少し・・・残念だ」
「今も、怖いわけじゃないです。ただ・・・」
「ただ・・・?」
ふっと、土方の顔がこちらを向いた。その意外な近さに一瞬息をのむ。
「噂と、わたしの知ってる土方さんは違う気がします」
思い切って言うと、土方は自嘲気味に唇を歪めた。
「違わねえよ。聞いての通りの人殺しだ。ただ、俺達は誠の旗の元に信念を持って人を斬る。幕府を転覆させようとして、さらに異国にこの国を売ろうとしている奴らをな」
厳しい目で言う土方に、それは違う、とは言えず深雪はそっと俯いた。龍馬や中岡の言う、こころざしの違いと言うのはこういうことなのか、と胸が痛んだ。
どちらが悪いというわけじゃない、と龍馬は言っていた。どちらもこの国を大事に思いそのために命を賭けている。自分に土方の生き方を否定する明確な理由はない、と深雪はむなしい思いを噛み締めた。