novel

□一瞬の面影
1ページ/1ページ


これは私が薩摩藩邸にお世話になり始めて、わりとすぐのこと。
まだ、大久保さんのことがよくわかってなくて、わけのわかんない嫌味ばっかり言ってる性格の悪そうな人だな、とか感じてたころの話。

いきさつは忘れたけど、ある日、私は沖田さんから龍馬さんたちの手配書をもらった。
そこに描かれた似顔絵は、もうとんでもなく下手で、大久保さんや小松さんたちに見せてみたら、皆、大笑いしたんだけど、なぜか口々に

「半次郎が新選組にいなくて助かったな」
と、言った。

「半次郎さん…ですか?」
「あれはなかなか使える絵描きだぞ。ちらりと見ただけの相手でも、うまく特徴をつかんだ絵を描く」
と、大久保さんが言った。

お…大久保さんが、人をほめた…。
私は驚いてしまった。

ふだん人のケチしかつけない大久保さんに認められるなんて、これは、かなり描けますよ、半次郎さん…。
と、私は素直に思ってしまって。
なんかすごく興味が出てきてしまった。

いや、その…大久保さんって、ふだん面と向かって嫌味ばっか言ってる相手でも、その人がその場にいないときは、わりとほめたりするんだけど。
この当時の私は、大久保さんっていつも嫌味で文句ばっかり言ってる人だな、くらいの印象しかなかったから。

「半次郎さんって…どんな絵を描くんですか?」
と、私は聞いた。

大久保さんは少し考えて、言った。
「強いて言うなら…あれは、剣豪の絵だな。ちと、宮本武蔵の絵に似ている」

そう言われても…宮本武蔵の絵なんか知らないよ。
絵と剣豪って、なんか関係あるんだろうか?

*******

それから数日して、藩邸の庭に面した廊下を歩いていたら、半次郎さんが暇そうに座って、スズメの写生なんかしてた。

なんでも、これから大久保さんと出かけるんだけど、大久保さんの会議が長引いていて、ずっと廊下で待たされているらしい。

写生帳見せてって私がいったら、半次郎さんは恥ずかしがって背中に隠したけど…。
わりと簡単に奪い取れたから、本当はちょっと見せたかったのかもしんない。

ぱらぱらっとめくると、いちばん新しいページには、スズメが三羽、描かれていた。
今にも飛び立とうとしているところ。

それから、風にゆれる竹の葉っぱの絵があった。
そして、桜かなんかの花が散るとこのアップ。
勢いよく進む川舟と、波しぶき。
木から飛び降りる猫。

すごいなあ…なんかとにかく、動きのある絵ばっかりなんだけど、どれもむちゃくちゃ上手い。
スズメの羽ばたきなんか、よくここまで、一瞬の動きを細かく描けるよ。

ページをめくっていくと、もっとすごいのにぶち当たった。
宙を舞う、すこし平たくなった透明な球体。いくつかは地面に落ちて、王様の冠みたいに弾けてる。

「これ…雨粒、ですよね」

と、私が言うと、半次郎さんは嬉しそうににかっと笑った。
たいがいの人に見せると、これは何だと言われるので、わかってもらえて嬉しかったらしい。

そりゃそうだよ。
…ハイスピードカメラのない時代に、なんでこんなものが描けちゃうわけ?

この人の、動体視力、半端ない。
大久保さんの言ってた、剣豪の絵って、こういうことか、と私は思った。

これだけ速いものが見えちゃうと…半次郎さんの見える世界って、私なんか凡人とは違うのかな…。
なんて考えながら、ページをめくると、今度はしばらく人物の絵ばかりが続いていた。
いろんな人が描いてあるけど…。

「半次郎さん、私、こんなに美人じゃないと思う」

半次郎さん、人物は苦手なのかな。私、こんな賢そうな、聖女みたいな顔、してないよ。

「あいちゃあ〜げんねこっちゃ(恥ずかしい)」

今度は、半次郎さん、かなり本気で写生帳を奪い返しに来たけど、私は逃げた。

だってこれ…知らない人も多かったけど…知った人の絵があって、これはこれで面白い。
何か、半次郎さん、顔はちゃんと似せて描けるみたいなんだけど、どれもこれも、ぜんぜんその人っぽくない表情をしてる。

いつも元気でかわいい慎ちゃんが、すっごく大人っぽい凛々しい顔でキリッとにらんでたり。
それ以上にパワフルでめちゃくちゃばかりしてる高杉さんが、病気でふらついてる人みたいな顔で深刻にふさぎこんでたり。
いつもムスッとして斬る斬る言ってる緊張感の塊みたいな以蔵が、子どもみたいな頼りなげな顔してぼーっとしてたり。

も少し、その人がいつもしている表情を描けばいいのに、と私が言ったけど、

「こいが、いっもしちょっ表情じゃっど…」と、半次郎さんは、納得がいかない顔で言い返した。

「ええーっ、そんなことないでしょ」

と、私は言ったけど…。一方でこうも思った。
もしかして…ふつうの人が気づかないくらい、つか、描かれてる本人も気づかないくらい…ほんの一瞬、無意識にちらりと顔に出る表情も…。
半次郎さんの目には、ものすごくはっきり見えちゃうってことなのかな。

いや…それはないっしょ。うん。

そして、最後の方のページに、大久保さんが描かれていた。
いつもの嫌味な、ふふんと口をひん曲げた顔じゃなかった。
なんだかすごく真剣で…悲しいことがいっぱいあるのに、必死にこらえて前を見つめてるような、そんな表情だった。

私はなぜか、胸がドキッとした。

しばらくそのページを広げたまま、思わず見入っていたら、いきなり後ろからひょいと手が伸びてきて、写生帳をひたくった。

「何を見ている?お前たち、ずいぶんと暇そうだな」

大久保さんだった。
会議が終わって、出て来たらしい。

大久保さんは、写生帳をぱらぱらめくると、自分の顔の描かれているページを見つけ…なんだか突然、怒った顔になった。

「なんだ、これは」

どうしてなんだろう。
よくわかんないけれど、大久保さんの不機嫌オーラのゲージが、しゅるしゅるとものすごい勢いで上がって行くのが、私にもわかった。

「大久保さぁ…」

大久保さんが突然怒り出したもんだから、半次郎さんは、どう答えたらいいか、困っちゃったみたいで、ただ、おろおろしてた。

すると大久保さんは、いきなりとんでもないことをした。

大久保さん、写生帳をぐいと開いて、自分の絵の描かれたページを、綴じたところに近い部分からびりびりとちぎり取っちゃった。

「大久保さぁ、何よしやっ…」
と、半次郎さんが抗議したけど、大久保さんは、

「ふん。失敬な。なんだこの絵は」
と、全然反省してなかった。

それどころか、ちぎり取った絵を畳んで一旦懐に入れたんだけど…。
なんか思い直したように取り出すと、二つに引き裂いた。

「ちょ、ちょっと!何するんですかっ」
と、私も思わず声を上げちゃったけど、大久保さんは無視した。

二つに裂いた紙を、今度は四つに裂き…。
そして、八つ、十六、三十二…。

そして最後に、それを肩越しに宙に放り投げると、粉々に破れた絵は、紙吹雪のように舞いながら落ちてきた。

「ふむ…昔取った杵柄とはよく言ったものだ。
しばらくやっとらんが、なかなか派手に散ったぞ。これは意外にコツが要るのだがな」

「何の話をしてるんですかっ」

私は思わず大久保さんの顔と、半次郎さんの顔を見比べてしまった。

半次郎さんは、最初はまるで、主人にじゃれついてひっぱたかれた犬みたいな顔で、茫然と大久保さんを見ていたけど…。
なぜか途中で笑い出した。

「ふん。絵などどうせ、まがいものにすぎん」
と、大久保さんは、例によって、わけのわからないことをうそぶいた。
「行くぞ、半次郎」

そう言って、すたすたと行ってしまう。

大久保さんの後を追いかけようとした半次郎さんに、私はあわてて言った。
「あの…半次郎さん、ごめんなさいっ。
私が騒いだから、絵、破られちゃって…」

と、頭を下げると、半次郎さんはきょとんとした顔をしてから、ああ、と言った。

「大久保さぁのちぎったもった紙はおいの絵ではあいもはん。ただの懐紙じゃっで」
「えっ?」

そう言って、半次郎さんは、説明に困ったような顔をして…大久保さんが絵を懐に入れてから、取り出した時の手の動きを、ゆっくり真似をしてみせた。

「あ…」
そか、あの時、絵を懐に入れちゃって、代わりに懐紙を出して破ったのか。

「あん人は、時々あげな悪戯(てんご)をしやったもす」

半次郎さんが、いかにも、やれやれ、手のかかる人だ…という表情で首をふると…。
廊下のちょっと先で、大久保さんが立ち止まり、いらいらと半次郎さんの名前を呼んだ。

「お…大久保さぁ、待ったもんせっ」

半次郎さんは私にぺこっと目礼すると、たたっと大久保さんを追いかけて行ってしまった。




…何だったんだろう、今のは。

もしかして、大久保さんは、ああいう表情をしている自分の絵を、誰にも見せたくなかったのかな。
だから、半次郎さんからあの絵を、無理やり奪い取っちゃったんだろうか。

二度とこんな絵を描くなって、半次郎さんに意地悪したくなっちゃったんだろうか。

…よく、わかんない人だ。

******

そのまた数日後。
私は、四条の方までお使いで、大久保さんの煙草の葉を買いに行くことになった。

最近少しぶっそうだからって、護衛に半次郎さんを付けてくれたけど…。
煙草屋にお使いに行くにしては大げさな…と思った。

でも後で聞いた話だと、煙草屋の看板娘のおさとちゃんというのが可愛い子で、藩邸のみんなは、おさとちゃんと半次郎さんをくっつけようとしてるらしい。

つかほんとはキセル屋なんだけど、高級煙草の葉も少し売ってるんで…。
小松さんあたりが中心になって、しめし合わせて、その店にしかない銘柄を指定して、半次郎さんにお使い頼むことにしてるらしい。

なんだ、そういうことか…と思ったけど…皆、こういうの好きだなあ。

当の半次郎さんは、全然自覚がないのか、いつも通りのほほんとしてたんだけど…伏見藩邸の近くまで帰って来ると、私に言った。
「ちっと寄り道してかまいもはんか?」

私は知らなかったんだけど、藩邸の近くには薩摩藩ゆかりの人のお墓がいっぱいあるお寺があって、半次郎さんは時々墓参りしてるんだという。

…私も藩邸にお世話になってるんだから、ちゃんと場所教えてもらっておいた方がいいよね。
私は、そう思って、気軽にうなずいた。
どういう人のお墓かとか、全然わかんなかったから、もう本当に冠婚葬祭のお付き合いってノリでしか、考えてなかった。

私たちは近所で花を買って、そのお寺に向かった。
半次郎さんは水桶を借りに行くと言って裏に回ったので、私は先に墓所に向かったんだけど…。

そこには、先客がいた。

私は、思わず、少し遠くで立ち止まってしまった。



ほんの数年前のものなのだろうか。
周囲より少し新しくて、まったく同じ形の墓石が、いくつも並んでいる場所があった。
たぶん、ほぼ同じ時期に立てられたんだろう。

その前に、大久保さんが立って、半次郎さんの絵と同じ表情で、前をにらみつけていた。
まるでケンカを売っているようなきつい瞳だけど…なぜか、すごく悲しそうで、さびしげに見える。

なんだかそれを見ていたら、私も胸を締め付けられるような気持になった。
どうしてなのか、わかんないけど。



新しい墓がいくつもあるってことは、つまり…数年前に、薩摩の人が何人も…一度に死んだってこと、だよね?
その人たちって、大久保さんとは、どんな関係だったんだろう?

仲間?友達?…それとも…敵?
ううん、きっと、そんな単純な一言では片づけられないことなんだろう。
大久保さんの横顔を見ていたら…なんか、そんな気がしてきた。



「大久保さぁも、おじゃんしたかぁ」

私の後ろから、半次郎さんののんびりした声が響いた。
その声に、大久保さんはこちらを振り向いたけど…。
大久保さんの顔は、いつもの皮肉たっぷりな、人を見下すような表情に戻っていた。

「何をこんなところで油を売っている」
「大久保さぁこそ、どげんしやったもした」

「私のことはどうでもいい」

半次郎さんが何度も人なつこく話しかけたけど、大久保さんはぶすっとした口調で、いかにも迷惑そうな物言いをする。
でも、決して嫌がってないみたいで、半次郎さんに何を言われても、妙に律儀に返答をしていた。

そんな会話を聞きながら…。
この人たちは、私が思っている以上に、いろんなことを乗り越えてきたのかもしれないな、と思った。

たとえば大久保さんが私に危ないことをするなと嫌味ひとつ言うのでも…もしかしたら、それが常識だとかそういう理由で言ってるんじゃなくて…誰か知っている人に同じ不幸があったから、言っていたのかもしれない。
だから、口では嫌味っぽい言い方をしてても、本気で心配してくれてるのかも…。

なんだか私は、大久保さんのことを、もっと知りたいな…と考えている自分に気づいた。
そして私に、もっともっと、いろんな表情を見せてほしいな…。

そう、思った。

たぶんそれはきっと、私が大久保さんを意識し始めたきっかけのひとつだったんだろうけど…。
とにかくその時は、この人のことが知りたいなって…。
私はただ、それだけ、考えていた。
【Fin】


***********************
みけミケさんがうちの半次郎を好きだと思って下さるよしみで頂いたお話です。半次郎の身体能力の凄さに痺れますwそして墓前の大久保さんの表情は、幕恋の大久保さんという人物像をとても雄弁に物語っているんじゃないでしょうか。みけミケさん、素敵なお話を感謝です!






[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ