幕恋男子部
□人斬りの恋
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藩邸では、もう半次郎を田舎者扱いするものはいなくなった。
上京したての頃はどこか垢抜けなく、野暮ったかったが今ではすっかり京の水に濯がれて、着る物も態度も立派な武士となった。
ある一点を除いては。
「大久保さぁ、お出かけの時は一言お声をかけてくいやんせ」
「私用だ、お前についてきて貰うほどの用ではない。それからいい加減、その言葉遣いを直せ」
ある日、些細な用事で出かけようと玄関を出かかったら、半次郎が慌てて追って来た。
「大久保さぁに万一の事があったら、薩摩の西郷さぁに合わす顔がありもはん」
私は心の中で軽く舌打ちをした。二言目には西郷西郷と、莫迦の一つ覚えかと俄かに腹が立つ。
「ならば、心配はいらん。もし私の身になにかあっても、西郷にはお前の手落ちだなどと言うつもりは毛頭ないからな」
「・・・・大久保さぁ」
ふっと、半次郎の穏やかな顔が一瞬別人のように引き締まった。人斬りと呼ばれるときの奴の顔はきっとこんななのだろうと、まじまじとその表情を眺める。
藩邸の玄関脇には、身分の低い使いの者などが待たされる小部屋がある。半次郎は私の腕を掴むと、いきなりそこへ押し込んだ。
「・・・何をする?」
上背ではほぼ一緒だが、畑仕事をやってきた半次郎の身体は私より一回り大きく、がっちりとしている。その力強い腕にしっかりと捕まえられて、思いのほか強い力に軽い驚きと共に目の前の男の顔をにらみつけた。
「おいは、別に西郷さぁの為に、大久保さぁの御身を守っている訳ではごわはん」
「ほう。では島津公の命に従ったというわけか」
戦を得意とする西郷、細かい折衝事を嫌う藩侯の間で、私はさしずめ便利な駒というわけか。
思わず自嘲の笑みがこぼれる。
さして身分の高くない自分が、上士や幕府高官の間でどれほど心を砕いているのか、きっと知るものはいないだろう。
・・・・どいつもこいつも、まったく。
そう思ったとき、自分がなにかに抱きすくめられていることに気づいた。
「・・・・・なんの、つもりだ」
努めて冷静な声を出したつもりだったが、多分上ずっていたのは半次郎にもわかっただろう。
「おいは・・・大久保さぁのために、京に来もした。そして、大久保さぁの御為なら、人斬りだろうが人殺しだろうが、どんな呼び名でも甘んじて受けるつもりでごわす」
半次郎の心の臓が、激しく鼓動を打っているのが衣越しにわかる。
総髪を括った長い髪から、最近好んで半次郎が付け始めたと聞く西洋の香が鼻腔をくすぐり、くらりと視界が歪んだ。
「申し訳・・・ありもはん。こんなことを言うつもりでは・・・ただ、おいは大久保さぁを今は何より大事に思っておいもす。それだけは忘れんでくだされ」
そっと掴んだ肩から力が抜け、項垂れた半次郎が呟いた。
「こんな偏屈に・・・お前は、趣味が悪いな」
悄気た大男に、にやりと嗤ってそう言うと、半次郎は慌ててかぶりを振る。
「おっ・・・大久保さぁは偏屈なぞではあいもはん!おいは、尊敬しちょります」
「ならば、どこまででも付いて来るがいい。・・・・出かけるぞ」
私は背中を向けてそれだけ言うと、くすぐったさを隠すように明るい戸外へと足早に歩き出した。
*end*
プロローグということで。