幕恋hours long

□大さまとわたし・11
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藩邸に戻ったわたしは、与えられている着物のうち一番地味な木綿を纏い、おはしょりを多めに取って下働きの女子衆のような格好で姿見の前に立っていた。


(これで、なんとか潜り込もう)



うまくいくかどうかはわからないけど、これしかない。
鏡の中には硬い表情のわたしが映っている。それと同時に、どうしようもない恋情に追い詰められた、自分でも知らなかったわたしの顔も。


でも。
何も知らなかった頃より、今のわたしの方がいい顔をしている。それはきっと、口惜しいけどあの人がそうさせたんだと思う。

玄関から袂に忍ばせてきた草履を出すと、わたしは縁側からそっと庭に降りた。
藩邸の裏に使用人などが使う木戸がある。簡単な閂がかかっているけど、外しても庭師のおじいさんがもうすぐ午後の仕事を終えて見回る時間だからそれほど迷惑はかからないはず。


意外に重たい閂ががたりと音を立て、一瞬驚いてしまう。でもぐずぐずしている時間はない。音をなるべく立てないように気をつけて外し、忍者にでもなったような気分で表に出た。

眩しい西日に目を細める。
やっと東西南北が把握できる程度の土地勘だけど、幸い一力は大きな通りに面している有名なお店だった。

沖田さんとの会話でそれとなく場所を確認しておいたのでそれほど迷わずにたどり着くことができた。目立つ表口はもちろん避けて、周りを窺うとどうやら裏口らしいものを見つけた。
ただ、そこは人の出入りが多くなかなか入る隙がない。途方にに暮れて見ていると、大きな黒塗りの木箱を肩にかついだ男の人がやってきた。
かなりの重さらしく、慎重に足を運ぶその人の腰から、日めくりみたいな帳面がバサリと落ちるのが見えた。


そのまま行ってしまいそうになるのを思わず声をかけた。

「あの!落としましたよ」

男の人は余程重いのか、振り向きもせずに「ああ、手間かけてすんまへんが持ってきてもらえまっしゃろか?」と早口で言った。

「は、はい」

わたしはその帳面を拾うと、慌ててその男の人の後を追った。
どんどん歩いて、お勝手のような所に来ると、やっと荷を下ろした男の人が手ぬぐいで顔を拭きながらわたしにお礼を言ってくれた。

「おおきにおおきに。手ェが離せんで、やくたいをかけてすんまへんなぁ」

「いえ、そんな」

「あんた、ここの人か?」

考えるよりも早く、はい、と言ってしまった。
すると、男の人は新入りの女中はんかいな、と微笑んでわたしの帯に小さな銅貨を挟んでくれた。
「とっとき」

そう言って、彼はさっさともと来た入口へと戻っていってしまった。
それを呆然と見送りながら、わたしはいつのまにか中に侵入することに成功したことに気づいたのだった。



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