幕恋男子部
□月と藤
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会津藩の何某とかいうくだらない男に呼び出されたのは、藤の花が咲き初める頃だった。
くだらない男だが、声がけを無碍にはできないほどの立派な肩書きのついた男だ。
渋々出向いた祇園の高名な料亭に、半次郎を伴って到着したのは日が傾き、夜の闇が空を覆いつくそうという頃だった。
「どげんしもした、大久保さぁ」
心配そうに提灯をかかげる半次郎は、今日は同席を許されているので紬の羽織と袴を身につけ、少しばかり窮屈そうに歩いている。
恵まれた体躯のせいか、きちんとした格好をさせるとなかなか見栄えのする男だ。
「大久保さぁ?」
「・・・なんでもない。これから不味い酒を飲まなければならんと思うと、少しばかり気が腐ってな」
そう答えると、半次郎は困った顔をしてこちらを見ている。ひとの言うことに一々大真面目に反応するのはからかい甲斐あるが、今日はそんな気分にもならない。
「薩摩藩士大久保利通、同中村参りました」
通り一遍の挨拶を済ませると、上座に座った会津藩の重鎮のひとりだという初老の男はいきなり切り出した。
「貴藩の西郷とかいう者、このところ随分長州に肩入れしていると聞くが・・・いったいどういう事か」
「・・・気のせいでしょう」
間髪いれずに返答すると、相手は咄嗟に気色ばんだが、思いなおしたように徳利に手を伸ばしこちらに差し出した。
「われわれは、天子さまよりご信任を得て京を・・・幕府をお守りしている。それを薩摩は忘れたわけではないだろうな」
「もちろんです」
反吐が出るほど気分が悪かったが、笑顔を見せてそう言うと、男はくどくどと酔いに任せて最近の薩摩藩の、会津に対する対応への愚痴を零し始めた。
ちらっと横を見ると、半次郎は黙々と杯を重ねている。隣の部屋からは陽気な唄と三味の音。
別段こんなところで騒ぎたいとは決して思わないが、この、名を覚えるも無駄としか思えないような男に時間を割くのは腹が立つ。
とりあえず、小半時あまりその愚痴に付き合うと、私は杯を置いた。
「もう、お話はお済ですかな。私たちはそろそろ暇乞をさせて頂こうか、半次郎」
「・・・・・半次郎?」
一瞬、ぎょっとしたように会津の男は初めて半次郎を見つめた。
「お前が、あの・・・」
半次郎がにこりと笑って頭を下げると、その男は化け物でも見るような目つきでまじまじと半次郎を不躾に見ている。
それがどうにも不快で、無礼を承知で挨拶もそこそこに半次郎を促して席を立った。
帰り際、その男は厭な笑いとともに妙な事を口走った。
「大久保殿、今の京は何があってもおかしくないほど荒れておる。道中くれぐれも油断召されるな」