幕恋hours long
□大さまとわたし・2
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薩摩藩邸に移ってきて、一番うれしかったのはこの広い風呂があることだ、と深雪は思う。
藩士の多さもあるのだろうが、土地の気風も手伝って薩摩藩邸はどこもゆったりとした造りで、風呂も大きい。寺田屋の風呂も悪くはなかったが、不特定多数の人間が使う狭い湯にはどうしても慣れることができなかった。
こちらに来たばかりの頃、風呂の湯を全部使って髪を洗ってしまって女将にこっぴどく叱られたことも今では笑い話だ。
夜も更けたころ、深雪は手拭と着替えを持って風呂にやってきた。
風呂焚きの下男にもう誰もいないと言われるまでいつも待っているので、風呂に入るのはいつも深夜だ。
晩春の宵、素足に触れる磨きこまれた床の感触が気持ちいい。
「これでシャワーがあったら、言うことないんだけどなぁ。今度短くしちゃおうかな」
着物を脱ぎながら、独り呟く。あまり褒めることのない大久保が唯一褒めてくれる長い髪だが、洗うのも乾かすのも一苦労だ。
(でも、私の髪を掬い上げて、にこっと笑ったあの時の大久保さんは結構素敵だったな)
香りを楽しむように口元にあてた髪を、慈しむように指の隙間から落とした。
「・・・切るのは、やっぱりやめよう」
手拭を持って、湯殿の引き戸を開ける。
沸かしなおしてくれたらしく、いっぱいの湯気に包まれた湯船に、うっすらと黒い影が見えた。
「・・・・・・・?」
「誰じゃ?」
立ち籠める湯気がさあっと入口に流れ、深雪の目に、湯船に浸かろうとする男の姿が飛び込んできた。
「キャーーーーッ!!!」
「深雪さあ!?」
先客は、薩摩藩士、中村半次郎だった。
悲鳴を上げる深雪の傍に慌てて駆け寄ろうとする半次郎だったが、お互い一糸纏わぬ姿であることに気づき、ざぶりと湯に身を沈めた。
「どげんしもした!」
「だって、お風呂が空いたって聞いたから・・・誰もいないと思って・・・」
半べそで抗弁する深雪に、半次郎は頷いた。
「それは申し訳なか。おいは先ほど戻ったのでごわすが、体中埃まみれでそのまま風呂に来てしまったので誰もおいが風呂に入っていることは知らんはずです」
「もう、びっくりしたんだからぁ!」
小さな手拭では隠せるはずもなく、しゃがみこんだままで深雪は半次郎に文句を言った。
「申し訳ない・・・」
「後ろ、向いて下さい!」
はっとして後ろを向く半次郎を確認して、深雪はそろりと湯殿を出た。
急いで脱いだ着物を羽織った瞬間、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「いったい、なんの騒ぎだ」