幕恋hours short

□初詣ラプソディ壱/弐
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初詣ラプソディ




年も押し迫ったある日。

暮れの支度で大忙しの寺田屋を大久保さんが突然訪れた。


「これは…?」
半次郎さんが大事そうに抱えていた風呂敷包みを解くと、中から現れたのは仕立て上がったばかりの綺麗な着物だった。

「見てわからんか。これは晴れ着だ」
大久保さんは鼻で笑うように答える。それはわかるんだけど。

「こちらはお忙しゅうて、ご用意できんのでは、と大久保さぁはご心配されておりもして」

半次郎さんが気を使って口添えしてくれる。どうやら、お正月に着る晴れ着をわざわざ用意してくれたらしいけど、相変わらずの上から目線で解りにくいことこの上ない。

見るからに高価そうな着物にちょっと気後れしながら、ちらっと龍馬さんを見ると、苦笑混じりに頷く顔。

「あ、ありがとうございます」

心遣いは素直に嬉しい。ここはありがたく受け取っておくべきなんだろうな。そう、龍馬さんの顔を見ながら思う。
大久保さんは珍しく少し嬉しそうな顔をして、私の淹れた極渋茶を飲むと半次郎さんを伴って帰って行った。



「わ、すごいッスねこの着物!」
大久保さんが帰った後、着物を広げて見るわたしに、後ろから覗きこんだ慎ちゃんが声を上げた。

「やっぱり?高そうだよね、これ…」

薄紫に淡い花々を散らした、綺麗な着物。触れれば吸いつくような滑らかな肌触り。
わたしがいつも着ている木綿の着物とは明らかに違う。

「あー…それもそうッスけど、これ何気に藤の花の意匠じゃないですか」

「どういうこと?」

首を傾げるわたしに、龍馬さんが声をかけた。

「大久保さんの家紋と同じじゃな」
「か…もん?」
ぴんと来ないわたしに、慎ちゃんは言いにくそうに続けた。
「大久保さんは、姉さんを…その…」
「慎太」

そこに龍馬さんが、何かを諫めるように慎ちゃんの名を呼んだ。
少し厳しいその表情に、慎ちゃんが口を噤む。

「まあ、せっかく貰うたんじゃ、新年に着て大久保さんにも見せて上げるんが一番あんお人も喜ぶじゃろ」

そう言って、龍馬さんはわたしに笑いかけた。

「あ…そうッスね」
なんとなく煙に巻かれたような釈然としない気分だけど、龍馬さんはきっと、これ以上訊いてほしくないみたい。






年が明け、元旦の朝。

わたしは寺田屋のみんなと初詣に出かける為に、寺田屋の女将さんと一緒に大久保さんに貰った着物を着付けた。
女将さんはしきりに着物の出来を褒めていた。京は着道楽と言うくらい、着るものの審美眼に長けている土地だから、きっと本当にいい着物なんだろうな。

なによりこっちに飛ばされて、初めての新しい服。女の子としてはやっぱり嬉しい。

「わ、姉さんよく似合いますよ!」
「ほう。これは艶やかだ。見違えたよ」
「馬子にも衣装ってとこか。…まあ、悪くない」

慎ちゃん、武市さん、以蔵が声を掛けてくれるけど、龍馬さんだけは黙って微笑を浮かべるだけだった。

「あの…おかしくないかな…?」
思い切って聞いてみると、龍馬さんはにこりと笑って、よう似合うとる、と呟くように言った。


何故だろう。その顔は少し寂しげで、晴れ着に浮かれていた気持ちがちょっぴり萎んだ。
その理由もわからないまま、わたし達は近くの神社に向かうために寺田屋を後にした。


神社に着くと、偶然か故意なのかわからないけど大久保さんが先に来ていた。びっくりしているわたしに、慎ちゃんが耳打ちする。

「黙っててすいません、大久保さんがぜひ贈った着物を着た姉さんを見たいと…」


前もって言わなかったことを詫びる慎ちゃんに、軽く目配せをする。多分、黙っていろと言ったのは大久保さん。



「大久保さん、素敵な着物をありがとうございます!すごく気に入りました」
丁寧にお辞儀をすると、草履が合っていないとかちょこっとダメ出しがあったけど、結構ご満悦な様子にわたしもほっとした。
そこから揃ってお詣りを済ませ、賑わう参道を歩き出すと、いきなり冷たい風が吹き抜けた。襦袢を重ね着しただけの防寒だったわたしは、思わず身体を縮こめる。

「寒ーい」

小さく呟くと、隣を歩いていた龍馬さんがふと歩みを止めた。
どうしたのかと見上げたのと、ふわりと肩に温もりを感じたのは同時だった。

「あ…!?」

肩を覆うのは、龍馬さんの黒い羽織。
かすかに龍馬さんの香りが鼻腔をくすぐり、わたしは不思議な安堵感に包まれた。

「悪いがこれで我慢してくれんか」
耳元に龍馬さんの声。 いつもより、一段低い甘い声音に心を奪われる。
その後合わせをしっかり重ねながらさりげなくギュッと抱き締められた。

それはもう、ほんとに一瞬の事で夢かと思ったけれど、わたしはしっかりと龍馬さんに抱き締められた感触を身体に感じた。

そして。


「三ツ藤巴より、おんしには桔梗の方が似合うちょるぜよ」


にやりと笑って、わたしの姿を上から下まで横目で見遣る。
上背のある龍馬さんの羽織に包まれたわたしは、大久保さんの着物が殆ど隠れてしまっていた。

まるで、この薄紫の着物を覆い隠すように。


「はい」


小さく答えるわたしに、くしゃりと頭を撫でて応える龍馬さん。

素敵な晴れ着ももちろんうれしいけど、こんなふうに密かに所有を主張される気分はまるで甘い毒のように心囚われる。
だから、わたしはいつも、このひとから目を離せないんだ。


見上げた空は抜けるように青くて、今年一年の吉兆のよう。


「今年も、たくさん良いことがありますように」


小声でそっと、わたしは空に祈るように呟いた。




Illustration:【醤油みりんに箸添えて】ふつみさん



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