幕恋hours short

□寝覚月
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晩夏の宵、いつのまにか当たり前のように耳に届くようになっていた虫の音に、ふと深雪は目を覚ました。


鮮明な音とは逆に、あたりは暗闇に包まれ、うっすら雲がかかる月の明かりだけが室内をぼんやりと浮かび上がらせる。


(まだ、真夜中…)


抱きしめられた身体を僅かに身じろがせ、更に存在を確かめるように間近の胸もとに頬をすり寄せると。


「深雪…起きちゅうがか」


「あ…ごめんなさい、起こしちゃいましたか?」


闇に慣れてきたせいか、見上げた龍馬の顔がやけにくっきりと見える。浴衣を羽織っただけの、いつになくしどけない姿は先程までの情交の名残をとどめるようにほのかな色香を放っていた。
かくいう自分も、帯も締めずに眠りに落ちていたらしく、衣紋がずり落ち少し動いただけで肩が露わになってしまった。夜気に晒された皮膚感覚に羞恥心がよみがえる。
思わず隠すように身体を返した深雪に、龍馬が半身を起こす気配が伝わる。


「どうした。眠れんのか」

心配そうな龍馬の言葉に、深雪は暗がりの中でかぶりを振った。


「違うんです、虫の声が聞こえたから…それで」

そう答えると、龍馬はしばらくじっと耳を澄ませていたようだが、やがてひそやかに笑う声が耳を擽った。

「ほんとじゃ、いい声で鳴いとるの」


「鈴虫…松虫、きりぎりす…それとくつわ虫。こおろぎ…」


昔、教わった童謡を思い出しながら呟くように諳んじる深雪を龍馬は不思議そうに見つめた。

「…えっと、うまおい…?だったかな」

たどたどしく記憶を探る深雪を、龍馬は愛おしげに抱きしめた。こんなふうに遠くを見るような眼差しは、置いてきた未来を懐かしむ時だと知っている。


「愉しい…思い出なんかのう」

独り言のような龍馬の言葉に、深雪は頷いた。

「はい。こどもの頃歌った歌で、虫の鳴き声と名前を連ねた歌詞なんですよ」


「ほうか」


短く答えた龍馬は、すり、と頬を寄せると背後から大きな掌で乳房を包みこみながら再び身体をきつく抱きしめ、耳元に囁いた。

「そろそろ虫も眠る頃じゃ、深雪ももう寝んかや」


「ん…」


龍馬のくせっ毛が頬を撫でるのを心地よく感じながら、深雪は頷いた。意識とともに、幼い記憶もすうっと遠のいていく。
どこに居たとて、記憶の中へは戻れない。そんな事実に不思議な安心感を覚えて、今いる場所が自分にとってどんな犠牲を払っても代え難いものなのだと実感する。


きっと、龍馬はいつものように少しだけ困った顔で見つめているのだろう。そう思いながら、その幸せに深い安堵を覚えつつ再び眠りに落ちていく。

深雪が浮かべた淡い微笑は




龍馬の目には届かなかったのかもしれない。















2013/09.05





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