みじかい
□愛しきみの名
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壇上で、全校生徒を前に堂々と演説をする椿くんの勇姿を見て、
ああ終わったな、って思った。
「え、なにが」
人気のない寂れた路地。
わざわざ遠回りをして私を送ってくれる安形先輩が問う。
「…なにか、が」
携帯用のカイロを握り締めて私は言い返す。冷えた掌に熱いくらいの熱が伝わる。
でも一つしかないから片手しか温まらない訳で、二つあったものをボッスンに恵んでしまった一時間前の自分が恨めしい。
新生徒会長の兄君は瞳を潤ませて私に感謝の言葉を述べ続けてたっけ。
ズボンのポケットに両手を突っ込んで歩く安形先輩はなんの感情も見せずにふうん、と言うだけだった。
「お前んち、結構遠いのな」
「ああ、はい。近くに開盟の子いなくて寂しいです」
「同じ年頃のやついねーの?」
「いないんですよ。小さい子が何人か、あと大学院生の人が一人だけ」
「男か」
「はい、だから全然話せなくて…」
私は小さい子にはあまり好かれないし、近所にいがちなお節介なおばさんというのもいないのでかなり孤立している。
周りは若い夫婦ばかりだし、大学院生のお兄さんは一人暮らしだし。
友達ともあまり遊ばないからなかなか寂しい。
私がそう言うと、安形先輩はなにがおかしいのかあの独特な笑い声を上げた。
「かっかっか。それはそれは」
「むー…他人事だからって」
「ん、じゃお前こんなとこからあの予備校通ってんの?」
「…そうですよ」
あの予備校、とは私の通う予備校、すなわち安形先輩も通う予備校。
取り敢えず通っておくかという非常に適当な理由で通っていると榛葉先輩から聞いた。から、通っている。
安形先輩に会う為に。
「へー、夜遅くなんだろ?送り迎えしてもらってんの?」
「いえ、チャリですよ」
「は?冬でも?!」
「…ええ」
そんなに、驚く事だろうか。
私の両親は共働きで送り迎えは出来ないし、とても歩いてはいけないし、…妥当な判断だと思っていたのだが。
確かに寒いけど、それでも通いたい。安形先輩に会えるから。
顔を合わす程度だけど少し話もできるし、ほら、送ってくれるまでに仲良くなれた。寒さ暑さがなんのその、だ。
「……うーん…」
「……」
長い指を顎に当て考え込む安形先輩。
椿くんに用があるとかミモリン遊ぼうとかデージーちゃん新しい縫いぐるみ買ったよとか、適当に理由付けて押しかけた生徒会室で時々見掛けた顔。真剣な顔って言うのかな。
その横顔はその時と全然変わってなくて、やっぱり今もかっこいい。
(…けど、)
「あ、あの、安形先輩」
「ん?」
「ここ、私の家です…上がっていかれます?」
「…や、いいや。俺もそろそろ勉強しねーとな」
そう言って笑う安形先輩。優しい笑顔。
いつの間に入れたのか、ポケットの中で温かい筈のカイロは冷たくなり始めていた。
何とは無しにそれを取り出してまた握り締めた。じわり、温い熱。
「そう、そうですよね。頑張って下さい、」
「うん、ありがとな」
「いえ、私こそ送ってもらってありがとうございました」
ああ、終わりだ、安形先輩行っちゃうや。
先輩先輩好きです、いつも別れ際に頭を巡る言葉が胸につかえて苦しい。
「…では」
「なあ」
ひゅ、と息が詰まる。
私の手首を安形先輩が掴んで、止めた。
緩い力だけど、私を静止させるには充分過ぎる。
「あ、がた、先輩…?」
「お前、俺になんか言う事あんだろ?」
「……っえ、」
「な?あるよな?」
有無を言わさぬ先輩の目が私を射抜く。言う事?言う事…?
軽くパニックに陥った頭は結論に達した途端、憎らしいほどあっという間に冷静さを取り戻す。
「……せ、先輩、」
「うん?」
「あの…あの、私、ずっと先輩を、先輩を…」
ぎゅうと握るカイロはもう冷たく固い。
「先輩を、会長って呼びたかった…!」
「……、」
「会長としての先輩がかっこよくて、かっこよくて、大好きで…みんなみたいに会長って呼びたかったのに、呼べなくて、会長もう引退しちゃって、言う機会もなくして……好きって、言いたかったのに…!!」
下らない、下らない私の感情はしかし堰を切ったように溢れて止まらない。安形先輩がどんな顔をしているのか見るのが怖くて俯く。地面にぽたぽた雫が垂れた。私泣いてる。
暫くの痛い沈黙のあと、安形先輩の声が空気を震わせた。
「…あのな。俺も、…だ」
「……?せん、ぱい?」
「…俺もお前が、…咲耶が好きだ」
同時に頭に大きな手が乗せられ、ぐいっと体を引かれた。
要は、抱き締められた。
「で、会長ってのはもう椿のもんだから…咲耶はさ、俺の名前を呼べばいい」
「ぁ、先輩の、名前…?」
「うん。咲耶にしか許可しない呼び方。お前だけ、咲耶だけだよ」
耳元で囁かれた言葉が脳みそに刻まれていくようで、背中に回された腕とか先輩の体温とかと相俟って凄く気持ち良い。
思い切って先輩の服を掴んでみる。頭を撫でられた。小さく、本当に小さくそうじろうと呼んでみる。
冷えたカイロがぽとりと落ちた。
(今日から予備校の行き帰りは俺と一緒だからな)
(えっ?な、なんでまた)
(女子が夜遅くこんな人気のないとこ通ってたら危ないだろ…色々と)
(色々…?)
******
ほんとはずっと両想いだったんだな。安形先輩が嬉しそうに言う。
近所に同じ年頃の子やうるさいおばさんがいなくてよかったと初めて思った。
もしいたら、明日から外を歩けない。そう思っていると、上を向かされた唇になにかあったかいものが触れた。
愛しきみの名
呟い、た