みじかい

□密葬
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咲耶は人目を引く容姿をしている。綺麗、と言うより可愛らしい、幼さの残るあどけない顔。何より吸い込まれそうな瞳に引かれて、ボクは咲耶に交際を申し込んだ訳だが。
白く清潔さを思わせるシーツに横たわる咲耶の目は、今はただ苛立ちを増幅させるだけだった。

「佐介、佐介…ごめんなさい、」
「咲耶、謝らなくていい」
「…ご、めんなさい」

幸いと言っていいのか、両親は今日居ない。今の時刻は10時30分、今夜は手術が入っていて帰るのは恐らく明朝以後だろうと携帯に連絡が入っていた。帝王切開が二件、今夜は満月だ。満月の夜は血を呼ぶから突然帝王切開などの手術が入ると、いつか父親から聞かされた。
満月は血を呼ぶ、よく言ったものだ。父さん、貴方の息子は神聖な貴方の行為と平行してこんなにも浅はかな行為を行おうとしているんですよ。今頃忙しく仕事をしているのだろう父親にそう言いたくなった。そう、ボクは今、己の浅はかさを自ら露呈しようとしているのだ。

「咲耶。…怖いか」
「……さ、すけ」

ボクの問いにびくりと肩を揺らした咲耶は、少し躊躇ってから口を開いた。今呼ばれたボクの名は、否定を意味している。
これは付き合って分かった事だが、咲耶は自分の感情を表すのにしばしば相手の名前を呼ぶ事があるらしい。どうやらそれは気を許した相手やごく親しい相手にだけのようで、それが分かった時、少しだが咲耶の事を理解できた事と、そうやって名前を呼ばれる自分は気を許されているのだと喜んだのに。今はどうしても白々しく聞こえてしまう、そんな自分が情けない。
怖いかと問うたが違うと返された、そんな筈はない、さっきから体は小刻みに震えているし頬は蒼褪め、薄い肩を精一杯強張らせているのは明らかだ。恐らくまたボクに対して申し訳ないと思っているからだろう、健気で可哀想な姿が笑える。
無残な形で裂かれた制服から覗く鎖骨に指を這わせると、微かに息を呑む音が聞こえた。

(…綺麗、だ)

薄い皮膚の下に、尖った鎖骨がある。爪を立てて思い切り抉れば、その白は顔を出すだろうか。そんな事をすれば血が沢山出て、咲耶は泣きじゃくるだろう。痛い、痛い、と。

「…っさすけ……!」

焦ったような咲耶の声に我に帰ると、ボクの爪は鎖骨に立てられて食い込んでいた。慌てて離すと、うっすらと血が滲む。
抜けるように白い肌と痛々しい赤のコントラストに、無意識に喉が鳴った。そんなボクに、咲耶が怯えた視線を寄越す。

「…なんだ、ボクを非難するのか?」
「…ち、違うよ…」

わざと唇を歪めて言う。咲耶が自分の感情に蓋をするのを見越して。ボクが非難されるべき人間であるのは間違いない事なのに。
赤くなったそこは、じんわりと熱かった。血の滲んだ皮膚を舌の先でなぞると咲耶が微かに声を洩らした。ひくり、喉が引き攣る。その喉の白さが目に眩しい。愛しくて、憎らしい白だ。

「ぃ、いた、痛い、っ佐介…!」

抉るような舌先に淡く鉄の味を感じた、同時に咲耶がボクの下で跳ねた。小さな手が肩を掴む。ぐ、と指が食い込む。咲耶のささやかな抵抗。
可愛らしい部類に入るこの抵抗を、あの人は、会長は、感じたのだろうか。ふと過ぎった考えは、ボクの苛立ちを正当化する材料となった。

(咲耶がもしも、会長を好きになったとしたら?)
(…そうなった時、ボクはよもや咲耶を殺してしまわないだろうか、)


「咲耶。…おさらいをしよう」
「…」
「よく、考えてごらん?」

突然の優しい声音。咲耶の指がぴくりと動いた。ありえない筈の笑顔を浮かべて甘く囁いてやれば、覗き込む咲耶の目には恐怖と動揺。黒々とした夜の色に、映るのは心のない張り付いた笑み。
愛している、そう伝えるのと同じ言い方で言い放つ。

「咲耶は会長とキスをしていた」
「…、」
「ボクはそれを見て、咲耶に"仕置き"をした」


「悪いのは、誰だ?」




仕置き、つまりそれを行ったものは正しく受けたものは悪で、ボクを正当化するに最も相応しい言葉。会長と咲耶がキスをしていた、それは例え咲耶に非がなくともボクの格好の免罪符となる。
真実を塗り潰す言葉の羅列に、咲耶は誘導されたに過ぎない。しかしぽつりと呟いた一言はもう拭えないのだ、盆から零れた水が戻らないのと同じように。
哀れな咲耶、自分の最後の砦である真実を自ら捨てるとは。咲耶はボクを瞳に映したままボクを肯定してしまった。



(悪いのは、誰だ?)


「…わ、たし」





愚者と少女
密葬された真実


(二度と戻れぬ倫理の彼方に、それは葬り去られたのだ)





******


自ら手放した日常に、何の未練もないのだろうか。
咲耶を見下ろしながらそう思った時、やっと麻痺した感情が一つ、戻った。

自主的にとも、ボクの所為ともとれる不思議な形で壊れた咲耶を、素直に酷く愛おしく思ったボクに、倫理やモラルや真実など勿論理解しえる筈もなく。



(選択したのは自戒か、自壊か)

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