ここまでおいでませ

□僕は弱くて俺は強い
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「……椎名 昇」
それが、俺の探していた男の名前だった。俺がこの高校へやってきた理由。
奴の言った“弱い”という言葉。その単語が俺の頭から離れてくれることはなかった。
何をしていても、奴の言葉が脳内を掠める。俺はがむしゃらに“強さ”を求めた。

奴のように喧嘩が強くなればいいのか、違う。

周りの者を逆らえないように服従させればいいのか、違う。

何者も恐れない心を持てばいいのか、違う。

何を成し遂げても、俺の中に生きる奴が言う“弱い”という言葉は消えてはくれない。
答えを知りたかった。
それを理解する事が出来なければ、俺は今の立ち位置から一歩も動くことが出来ない。
そんな俺がこの高校へ入学し、まず行うべきこと。それは奴のクラスを訪れることだった。
奴は二年生、だから俺は入学早々、よく知りもしない校内を歩きまわり二年の教室が並ぶ階へやってきた。
「あの」
俺は階段近くで話していた女子二人組に声をかけた。
「え?」
その人たちは少し驚いたように肩を揺らし、俺を見てくる。俺はそのまま口を動かした。
「二年生に椎名 昇って人いますよね、その人、どこのクラスの人かわかりますか」
「え?椎名?わかんないなぁ……」
一人の女子が首を傾げた。意外だった。てっきり奴は不良だとかそういう類の奴に見えたから有名なのかと思った。
俺が一人、考えにふけっているともう一人の女子がおずおずと口を開いた。
「あの…私…去年、椎名くんと同じクラスだったから知ってるけど…」
「教えてくれませんか」
俺が必死に見えたのか、その人は勝手に勘違いを始めた。
「…もしかして君、椎名くんの後輩かなんか?」
「……まぁ」
そういうことにしておいた方が聞き出しやすいだろうと思い、俺は適当に頷いた。すると、彼女の表情は一変した。
「知らないの……?あ、そっか…つい最近まで受験生だったもんね…えっとね、彼……」
彼女の言葉の続きは信じがたいものだった。
「去年の冬ぐらい…からかな。持病の発作で入院してから学校来てないの…」
「入院…?」
耳を疑った。去年の冬、おかしいじゃないか。俺はちょうどその時期に奴に会ったんだ。
入院なんて、そんなのおかしい。だって、奴は強かった。あんなに輝いていたんだ。
「今も多分、入院してると思うんだけど…復学できるかは難しいって先生が結構前に話してたんだけどね…」
「……くれ」
「?」
「教えてくれ!椎名 昇のいる病院!」
「!?」
大声を出す俺に目の前の彼女は目を見開く。脅かすつもりはなかった。けど、感情を抑えられなかったんだ。
ここで会えないなら、俺がここにいる意味はないんだから。



***


「着いた……」
一体、一人の男にどれだけ振り回されれば気が済むんだろうか、俺ってやつは。
高校まで追いかけて、それで今度は病院。金魚のフンか、と自分を責めたくなったが、今度こそ、奴と会える。
奴の病室の前。この扉を開けば、奴がいるはずだ。
俺は意を決して目の前の扉を叩いた。無機質な音が二回。しばらくして返事が返ってきた。
「どーぞー」
扉越しだったが、確かに聞いたことのある奴の声だった。俺は取っ手を掴み、引いた。
白い景色が広がり、その中心に奴はいた。
前と全く同じように奴の瞳が俺を捉えた。今度は俺も負けじと奴を見た。
視線がぶつかって数秒、奴は笑った。
「まぁ、座れよ」
その笑みは前のものとは違っていて、どこか幼く見えた。毒気を抜かれたというか、俺は言われるままに奴の近くにあった椅子に腰を下ろした。
聞きたいことはあったはずだ、この時のためだけに俺はここまで来たのだから。なのに口は動いてくれない。
相も変わらず、先に口を開くのは決まってこの男だった。
「お前、確か、ボコボコにされたクセに追っかけてきた奴だよな?」
馬鹿にしたように言う奴に、不思議と俺は怒りを感じることはなかった。それよりも俺のことを覚えていたのか、という驚きの方が大きかった。
しかし、まだ俺の口は開いてくれなかった。
「で、なに。今度は俺を追っかけてきたわけか?」
先程と同じように聞いてくる奴は黙ったままの俺を見て、笑い始めた。
「お前、可笑しな奴!けど、嫌いじゃねー」
鋭い切れ長の目が嬉々と細まっていく。退屈していた子どもに新しい玩具を与えてしまった、そんな状況を思わせるような。
「お前、名前は?俺は、椎名 昇」
「知ってる」
そこでようやく、俺の口が動いてくれた。
「余所で喧嘩売りまくってるくせに、不良とかチンピラとかとして名前が上がってる訳じゃないし」
溜まっていたこと全てを吐き出してしまいたかった。きょとんした奴に俺はもう止まらない口を動かし続けるだけ。
「聞けば喧嘩売った相手ってのは全員、無暗やたらに人殴ったりする、ろくでもない奴らばっかりで、そのこと教えてくれた奴らは皆、アンタに感謝してた」
「へぇ」
微塵も興味がないように奴はつぶやく。俺の思考がちゃんと働いているかは不明だった。
「アンタ、一体何なんだ。病気持ちのくせに夜、あんなに動き回って、何がしたいんだよ」
「さぁな」
奴は相変わらず一言でしか答えなかった。興味がないのか、簡単に、ポツリと。
俺はそんな奴の態度に頭が真っ白になった。
「俺はお前に助けられたなんてこれっぽちも思ってねぇからな!感謝されてーんだったら余所でやってくれよ!もう…」
ずっと言いたかったこと、聞きたかったこと、全部が吹っ飛んで俺の声だけが頭で反響する。
「もう やめろよ!これ以上人を振り回すな!」
めちゃくちゃなことを言ってるのはわかってる。けど、それ以外言葉がなかった。まるで違う自分がいるみたいに、俺の口は動いたんだ。
「…………」
病室には俺の息を整える音だけが響いている。だが、視線は相変わらず絡まったままだった。
奴の目は寸分も逸れることなく、俺を捉えている。最後に大きく息を飲み込んだときだった。
「お前の事情なんて知るかよ、俺は俺のやりてーことをやっただけだ。人に感謝されるだとか他人のことなんか知ったこっちゃねー」
奴のその言葉は今まで聞いた中で一番攻撃的だったかもしれない。俺はただ聞くしかなかった。
「俺はな、自分の限界に怯えて生きるってのが一番嫌いなんだ。出来ないっつって諦めたり、やりたくねぇっつって出来ないフリしたり」
奴の言葉、そして瞳。まるであの夜が帰ってきたみたいだった。
「そういう自分への甘やかしに呑まれちまう奴はもう終わりだ、つまんねー人生しか待ってねぇ。けどな、最後までもがく奴は違うんだよ」
病室には俺と奴しかいないはずなのに、奴のその言葉は俺に向けられている気がしなかった。なんとなく、わかってしまった。奴は自分自身に今までそう言い聞かせて生きてきたんじゃないかと。
「どんだけ堕ちようと、自分で這いあがらなきゃなんも意味がねぇ。初めからやりもしねぇのに無理だ諦めろだなんて人生、俺は死んでもやだね」
どうしてだろうか、奴の言う“死”という言葉がリアルに聞こえてしまったのは。
なぜだろうか、今更だった。俺がこの男を追いかけて追いかけて、ここまで来た理由。
それは嫌悪でも感謝でもなかった。
ただ眩しかったんだ。
“死”と隣り合わせの人生の中で限界まで生きていくこの男の生き様が、俺にとって眩しかった。
奴の言ったとおりだった。奴が強かったんじゃない。俺が弱すぎたんだ。
なんとなく毎日を過ごしていた俺はこの男の理念とは遠すぎた場所にいた。きっと探せばこの男のような奴は世界に五万といるんだろう。奴が特別なんじゃない。俺が、どうしようもない奴だったんだ。
「……なぁ、俺は今…」
考えもまとまって、軽くなった胸を這い上がり、ようやく喉の奥から出た言葉はまた奴への問いかけだった。だけど、言葉は続かなかった。
その答えは聞いて得るものじゃないと思ったからだ。
俺は椅子から立ち上がり、病室の扉に手をかけた。
「おい」
背中にかかってくる奴の声に俺は動きを止め、振り返る。奴は笑っていた。
「また来るときには土産の一つでも用意して来いよ?」
きっと奴はこれからも輝き続けるんだろう。不思議とその光が消えることはないと確信した。
「…覚えとく」
次に俺がここへ来たとき、俺は奴に名前を名乗れる気がした。



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